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大野翔平選手

1.7月26日、東京五輪・柔道男子73キロ級で大野将兵選手が2連覇を果たしました。  試合直前24日の日経新聞に大野選手の特集が載っていました。  タイトルは『大野、勝つための「悲観」・・・隙埋める練習徹底』です。  番号を付けて紹介します。

『①金メダルに輝いた2016年リオデジャネイロ五輪から5年、大野将平(29)は毎日「負ける姿」を想像して稽古と向き合ってきた。

②ポジティブ思考こそ成功の条件とされる時代に、大野は安易にくみしない。  どうすれば勝てるのか、ではなく、どうすれば負けるのか。  練習パートナーに執拗に隙や苦手を突かせ、「心が折れそうで、苦しい瞬間の方が多い」稽古は爽快感とはほど遠い。  しかし、大野はそれを「防衛的悲観」と呼んで「勝ち続けるために必要なこと」と受け入れる。

③五輪会場の日本武道館で行われた2019年世界選手権は圧倒的な強さだった。  それでも周囲の楽観を「連覇は簡単ではない」と打ち消してきた。

④忘れ得ぬ試合がある。  連覇濃厚といわれた14年世界選手権。  4回戦、韓国選手の出足払いに沈んだ。  柔道では時として起こりうる、タイミングがかち合った偶発性の高い決着ともいえたが、大野の見方は違う。  「負けを想像せず、どうやって勝ってやろうと欲や色気があった。  慢心が自分を負けに導いた」

⑤相手も必死という勝負の本分を忘れ、自分本位に陥った果てと自らを責め、「負のイメトレ」が日課になった。  代表監督の井上康生はリオの本番間際の姿を振り返る。  「自分に嫌な形を想定して、隙を埋める練習を徹底していた」。  誰しも気持ちを盛り上げたいと思う時期に、気の重くなる作業に目を向け、生き馬の目を抜くトーナメントを勝ち上がった。  14年のこの時以来、世界選手権、五輪の二大大会で敗戦を知らない。

⑥負ける要素を潰していきながら、その柔道は守りに傾くどころか、さらに攻撃性を増している。  「組み手が8割」とまでいわれ、多くの時間が組み手の取り合い、探り合いに割かれるようになった現代柔道で、大野はその間が惜しいとばかり、無頓着に袖と襟を取りにいく。

⑦1カ月後に世界選手権を勝つ安昌林(韓国)と相まみえた18年アジア大会。  けんか四つでの引き手争いが続くと、延長で突如左組みにスイッチして「持ってこいよ」と誘った。  相四つでがっちり組み合う形になった延長7分、内股で仕留めた。  相手の土俵に入り込んででも肉を切らせて骨を断つ。  難敵になればなるほど、そんな勝利が増えていく。

⑧昨年2月以来、実戦から離れ、男女14階級で唯一前哨戦を経ずに五輪に出る。  しかし、大野はどこ吹く風だ。  「コンディションどうこうでなく、そもそも悪いという心づもりで臨むんで」。  調子や流れ、相性といったあらゆる要素を超越した存在として五輪を制する、とでもいいたげに。  「圧倒的な柔道」を誓ったリオから「絶対的な強さ」を追い求めてきた柔道が、輪郭を帯びている。

⑨東京五輪を2度目の集大成であり通過点と捉える大野は「勝ち続けることで自分しか見られない境地が見られるんじゃないかと思っている」という。  五輪の頂点を極めても王道を選ばず、いばらの道を歩んできた異能の柔道家。  26日、日本武道館で連覇を果たしたとき、眼前に広がる景色は果たしてどんなものになるのだろう。』


2.全日本柔道選手権9連覇・引退するまで203連勝・対外国人選手には生涯無敗(116勝無敗3引き分け)という大記録を残した山下泰裕先生は、「相手選手の国で自分がアウェイで、相手が絶好調で自分が絶不調でも、一本勝ちできるような柔道家になりたい」と、かって言われたそうです。

大野選手には山下先生に通じるものを感じます。

試合翌日27日の日経新聞の記事からも紹介します。

『この5年間を見守ってきた井上監督は言い切る。  「これまでに見てきた中で最強の柔道家だ」。  労苦が報われる、最高の褒め言葉だろう。』

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諦めた者が負け、諦めさせた者が勝ち残る

8月10日のブログで『落合博満 バッティングの理屈』(落合博満著 ダイヤモンド社)を取り上げました。  今回は同じく落合さんが書かれた『決断=実行』(ダイヤモンド社)です。

1.『「負けたくない」というプライドがもたらした優勝』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私には現役時代の経験も含めて、プロ野球人としての信念がある。  長いペナントレースでは、勝つこともあれば負けることもある。  その勝負事を最後に左右するものは何かと問われれば、「諦めた者が負け、諦めさせた者が勝ち残る」ということだと思っている。

②だからこそ、長い戦いの中で他のチームに「中日には勝てないよ」と思わせれば、私の勝ちになる。  反対に、他球団に何ゲーム離されようが、マジックナンバーが出ようが、自分たちが諦めた時点で勝負は決着してしまうのだ。  (中略)

③このように、連覇を達成できた要因はいくつかあると思うのだが、私が考える一番の理由は、監督と選手の信頼関係とか、監督を男にしようとする選手の意地といった浪花節的なものではない。  本当に練習を積んできた選手が、自分たちほど練習をしていない選手には負けたくないというプライドだったのだと感じている。

④私が指揮した8年間、中日が春季キャンプで消化する練習量が、12球団で圧倒的に多かったことはご存じの方も多いだろう。  それに加えて、ペナントレース中には一日の休日も与えなかった。』


2.『自分の技術を向上させるためには』の項からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①私はベンチに座りながら、(阪急の)加藤秀司さんの打席を食い入るように見つめていた。  左打ちと右打ちという違いこそあれ、ボールのとらえ方、運び方など学ぶべき要素が多かったと思う。  こうした観察は、3度の三冠王を手にし、ベテランになってからも続けていた。  (中略)

②では、最近はどうなのだろう。  例えば、先輩のバットスイングを参考にしたければ、目で見るだけでなく、録画してスローやコマ送りで再生したり、ここというポイントで静止画にしたりすることもできる。  私たちの時代とは比べものにならないくらい技術向上のヒントになる資料は溢れているのに、それを生かしている若手はどれくらいいるのか。

③なぜ、そんなことをボヤくのかといえば、働き盛りの選手の観察眼、あるいは技術を考える際の感性が今ひとつ磨かれていないと感じるからだ。  そうなった理由のひとつに、練習の効率化が挙げられる。  (中略)

④たとえば、キャンプの練習では初めのランニングこそ全員で走るものの、キャッチボールになれば投手と野手は分かれ、あとは投内連係など投手を含めた守備練習しか全員が揃う場面はないのではないか。  それは投手も野手も効率的に練習できるメリットがある反面、投手が野手の練習を見る、野手が投手の練習を見るという機会を大幅に減らしているというデメリットもある。

⑤体を動かして技術を磨くのが練習なら、先輩やレギュラーの動きをしっかり観察し、自分が採り入れるべきものはないかと考えるのも大切な練習だ。  その時間があまりに少ないと、他の選手の練習から学ぶという感性が養われない。』

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孫子『勢い』

『「孫子の兵法」がイチからわかる本』(現代ビジネス兵法研究会著 すばる舎刊)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.現代訳(勢篇)

①巧みに戦う有能な指揮官は、戦いの勢いによって勝利しようとし、決して兵士たちの力ばかりを頼ろうとはしない。

②兵士たちの力が十分に発揮できるように、適材適所に配備させ、軍全体の勢いのままに戦わせようとする。

③兵士たちを勢いそのままに戦わせるさまは、木や石を転がらせるようなものだ。

④木や石は、平らなところでは安定して静止しているが、不安定な場所では動き出す。

⑤四角いものなら安定しているが、丸ければ転がり始める。

⑥兵士たちを巧みに勢いづかせるためには、丸い石を高い山から転がり落とすように軍隊を戦わせる。

⑦これが、戦争における勢いというものだ。


2.源氏と平家の「勢い」

①平安時代末期の1184年、平家は勢いよく攻めてくる源氏のために、都落ちを余儀なくされます。  しかし、このまま平家も引っ込んでいるわけではありません。  

②瀬戸内海で態勢を整え、勢力を盛り返し、京の都を再び目指します。  今の神戸市あたりの一ノ谷に陣を張り、進撃の準備にとりかかります。  ここで源氏の大将、源義経はわずか70騎で、平家5万の大軍を打ち破る活躍を見せました。

③平家は鵯越(ひよどりごえ)という断崖絶壁を背景に陣取り、源氏の軍勢と対峙します。  義経は、平家軍に対峙する自軍本隊を部下に任せ、わずか70騎を率いて鵯越に立ちます。

④義経軍は、馬で駆け下りるのは不可能と思われたその崖を駆け下りて、奇襲をかけます。  不意を突かれた平家軍はパニック状態に陥り、敗走します。  (中略)

⑤見逃してはならないのが、源氏に圧倒的な「勢い」があったということです。  まだ強大な戦力を有していた平家軍ですが、敗戦に次ぐ敗戦で「勢い」を失っていたため、浮足立っていたのです。

⑥これは、富士川の戦いにも表れています。  富士川に陣取っていた平家軍ですが、そこに源氏の斥候隊(せっこうたい)、いわゆる少数の偵察隊が近寄ります。

⑦川べりに陣取っていましたが、源氏の斥候隊に驚いた水鳥がいっせいに飛び立ちます。  そのとき、平家軍は敵の襲撃と思いこみ、慌てて敗走したのです。

⑧このような状況で、ますます平家軍の勢いは失われ、源氏の勢いは増していきました。』

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