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セコンドの指示

1.モハメド・アリやシュガー・レイ・レナードを育てた、名トレーナーのアンジェロ・ダンディーが書いた『勝つことを知った男』(ベースボール・マガジン社)を読みました。  「名トレーナーへの道しるべ」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①(元世界フェザー級王者)ウィリー・ペップを鍛えたビル・ゴーアがまた素晴らしかった。  その手ぎわの敏速で確かなこと!  

②彼は一番上のロープの上からよりかかるようにして、各ラウンドごとにウィリーをできるだけ新鮮でこざっぱりと見せるようにようにする。  ビルは試合中のボクサーの外見も心理的に重大な影響があると信じている。

③俺も同意見だ。  白熱したラウンドが終わっても生き生きしていれば、相手のファイターの勇気をくじくし、ジャッジにあたえる印象も違おうというもんだ。』


2.「やったぜ!  デュバスはジュニア・ミドルのチャンプだ」の項からも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①率直に言って、俺はかなりうまく応用心理学をボクサーたちにもちいたとおもう。  疲れたボクサーにはアスピリンの半かけらをやって、こんなことを言う。  「これは元気の出る丸薬だぞ。  もうこれからは疲れることはないぜ」  効いたねぇ!

②それから決して口にしない言葉は、「おまえ負けてるぞ」なんてことだ。  不利な場合は逆に、「あっちはだいぶ参っているぞ」と言ってやって、それからおだて、自信をつけさせる。  どやしつけ、ののしり、その他、奮起させることがあれば何でもやる。

③あるボクサーにはどうすればいいか別な指示をする。  また他のには違ったアプローチを用いる。

④モハメド・アリには、どうしたらいいかなんて事は言わない。  「種」をまくんだ。  そうしてあたかも彼自身がそれを思いついたかのように思い込ませるんだ。』


3.「起死回生の特効薬」の項に、1981年9月16日に行われた、シュガー・レイ・レナード(WBC王者)対トーマス・ハーンズ(WBA王者)の世界ウェルター級・統一王座決定戦のもようが書かれています。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①12ラウンドが終わるとレイはスツールにどさっと腰をおとし、疲労の色を濃くしていった。  気落ちするラウンドだった。  勝利が俺たちの手からすべり落ちるような気がした。  きっぱりさせるにはノックアウトしかない。  (中略)

②「いまやらなければダメなんだぞ、レイ!  おまえはみんな台無しにしちまっている。  聞いてるのか?  倒してしまうんだッ。  このラウンドでやるんだッ」  

③トップ・ギヤに戻してやらなければならない。  きっとハーンズを倒せる。  第13ラウンドのゴングが鳴った。

④レイに活気がみなぎった。  いまや完全にファイティング・マシーンとなっていた。  右の長打でハーンズをつかまえた。  ハーンズは危機におちいった。  レイは奴を追う。  パンチの応酬でハーンズはロープに首をつっこんで倒れたが、レフリーはダウンを取らず、かろうじてハーンズはこのラウンドを何とか持ちこたえた。  俺にはレイが奴めを見事に打ち砕いたことが分った。

⑤(14ラウンドの)ゴングが鳴るとレイは飛んでいってハーンズにパンチをあびせ始めた。  エネルギーが彼を突き進ませ、試合の始めよりも強く生き生きしてきた。  リング上の37度の熱さもなんのその、まさに獲物をしとめようとする感覚と、勝利は手中にありという確信から生まれる威力はすごかった。

⑥レイはハーンズにパンチを雨あられと浴びせて窮地に追い込んだ。  ハーンズはロープによりかかったまま棒立ちになった。  しかし、果敢にも試合を投げようとはしない。  ついにレフリーが分けて入って、勇敢なハーンズをレイの強打から救った。  闘いは終わった(14ラウンド・TKO勝ち)。』  

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あの死闘はアートの域

1.前回のブログでは井上尚弥選手の著書を紹介しました。  

11月15日の日経新聞朝刊・スポーツ欄の特集「アナザービュー」でもWBSSバンタム級決勝が取り上げられていました。  記者の武智幸徳さんが書かれています。  タイトルは「あの死闘はアートの域」でした。  番号を付けて紹介します。 

『①11月7日に、さいたまスーパーアリーナで行われた井上尚弥(大橋)とノニト・ドネア(フィリピン)のワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)バンタム級決勝は、試合前の予想をはるかに超える感涙ものの死闘だった。

②両者ともワンパンチで相手を仕留める腕があるから、形勢はたちまち逆転する。  どのラウンドもゴングが鳴るまで、まばたきができないくらいスリリング。  あまりに古い記憶で恐縮だが、個人的にはその一進一退に、38年前にウエルター級の王座統一を懸けて争ったシュガー・レイ・レナードとトーマス・ハーンズの闘いを重ねていた。

③判定勝ちを収めた後、井上尚は「期待してもらっていたようなファイトはできなかったと思う」と申し訳なさそうに語った。  周りが期待したこととは、26歳の昇る朝日の若い王者が、もうすぐ37歳になる落日の老雄にKOで引導を渡すというストーリーだろう。  確かにそこからは外れた。

④しかし、5階級制覇のドネアが仁王立ちで行く手を阻んだこともあり、まったく別のストーリーがリングで紡がれることになった。  心技体に知も備えた両者が、極限まで力を振り絞る「攻防」という名の物語である。

⑤いろいろな見方、考え方はあるのだろうが、私はスポーツの一番の醍醐味は攻防や競争にあると思っている。  攻防なき試合、つばぜり合いのないレースは強さ、弱さを一方的に確認して終わるだけ。  強すぎる側に責任はないが、相手を解剖するような試合を見ても、その手際の良さに感心するくらいである。

⑥二転三転する攻防、競争は熱狂を呼ぶ。  そこで示されるレベルが高くなればなるほど、スポーツで最も重要とされる勝ち負けをも、時に忘れさせる。  井上尚とドネアが合作したのは、まさにそういうレベルのファイトだったのではないか。  試合後の潔い態度も含め、どこの国の誰が見ても、心からの拍手を送ってくれる中身というか。

⑦スポーツには人種や国籍や宗教といった、いろいろな属性を離れ、観戦者をつかの間、丸裸にしてしまう力がある。  とはいえ、そういうことが成し遂げられることはめったにない。  井上尚とドネアは今回それをやってのけた。  ある意味、あの試合はアートの域に達していたように思う。』


2.かつて『極真英雄列伝』(大下英治著 しょういん 2002年)という本で、取り上げていただいたことがあります。  その中に次のような私のコメントが載っています。

『ボクシングは100年以上の歴史の中でアートになっている。  シュガー・レイ・ロビンソン、モハメッド・アリ、シュガー・レイ・レナード、ロイ・ジョーンズなどの芸術的なチャンピオンを生み出してきている。  極真空手も全日本大会が今年で32回となり、その基礎の段階は経た。  ボクシングのようにアートの域にいけると思う。  (中略)

打たれない。  怪我をしない。  体が小さくても勝てる。  そういう世界チャンピオンをつくりたい』

出版から17年(取材時から19年)経った今も、その思いは変わりません。


3.いよいよ来週は第12回世界大会です。  

井上・ドネア戦のように、ハイレベルで感動的な試合が観られるといいですね。

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リングに命はかけない

11月7日のワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)決勝、井上尚弥選手と5階級制覇王者ノニト・ドネア選手との試合は、すべての面において最高の試合でした。  

井上選手のイメージトレーニングについては、今年の3月24日のブログで取り上げました。

今回は試合直前に発売された『勝ちスイッチ』(井上尚弥著 秀和システム)の中の「リングに命はかけない」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①リングに命はかけない。  試合前に遺書を書いて会場に向かうボクサーや、「ぶっ殺してやる」と、気持ちを極限まで高めて決戦への花道を歩くボクサーの話はよく耳にする。  (中略)  

②実は「命をかける」ボクシングは、僕が理想とするボクシングの対極に位置している。

③殴り合いにいくのだ。  当然、本能も感情も覚悟もある。  しかし、僕が求めているのは、そういう種類のボクシングではない。

④ルールのある競技の中で、2本の腕だけを使って、最大限に、何ができて何を魅せられるのか。  スポーツと割り切れるほど、綺麗な感情ではなく、表現は難しいが、情熱や殺気、そして冷静さ・・・・・・その両方のバランスを操りながら、勝つためのデザインを描き、その作業を遂行していく。

⑤ボクシングの最高峰を突きつめたいのだ。  スピード、テクニック、パワー、気力、ラウンドのコーディネート、そして人智を超えた神技。  僕は「打たさずに打つ」 「パンチをもらわずに勝つ」 究極の心技体の完成作品をそこに求めている。

⑥勝利へのデザインを僕は「作業」と呼んでいる。  「ぶっ殺してやる」という怒りや憎悪の感情が、そこに入り込んでくると、数ミリ単位で計算し、神経を限界まで研ぎ澄まして完成させていく、その作業に狂いを生む。

⑦「ぶっ殺してやる」という種類のテンションは距離を測り、パンチが当たる位置、当たらない位置を瞬時に察知しながら、最善の方法を選択していくというインテリジェンスな作業の邪魔になるのだ。

⑧とはいえバンデージを巻くところからスイッチを入れた僕の全身にはゴングを聞く頃にはアドレナリンが駆け巡っている。  憎悪を持たなくとも殴ることになんら躊躇はない。  (中略)

⑨理想とするボクシングを、誰に対しても、たとえどんな状況であっても、しっかりとあてはめて勝つことができるようになったとき、僕は、本当の自信をつかみ、究極のボクシングと呼べるものを手にできるのかもしれない。

⑩だが、今は、そこまでの自信はない。  これだけ練習をやってきても「まだできない」 「そうじゃない」と納得できないモノがある。  そこに己との戦いがある。

⑪ゆえにボクシングは奥深く、戦えば戦うほど、その深淵に引きずりこまれていく。  ボクシングが大好きで、それを職業にしている一番の理由はここにある。

⑫ドネアとの試合が終わったとき、僕は「究極の作品」と胸を張って語れるボクシングの域に足を踏み入れているだろうか。』

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