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「努力」と「熱中」

1.精神科医で作曲家の泉谷閑示さんが書かれた『「うつ」の効用』(幻冬舎新書)を読みました。  『「努力」に価値を置く危険性』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ある野球少年が、毎日熱心に日が暮れるまで練習をしていました。  そして、その野球少年が、後々大リーグで活躍するほどの選手になるまで成長したとしましょう。

②その近所に住んでいた家族がこんな会話をしています。  「○○君は、毎日欠かさず日が暮れるまで努力したからこそ、あそこまで成功したんだ。  やっぱり、人一倍努力した人間が最後には成功するんだよ」

③しかし、当の本人にこの話をぶつけてみると、意外にもこんな反応が返ってきました。  「いやぁ、僕は人一倍努力をしたという自覚はありません。  ただ野球が好きで、もっと楽しむためにうまくなりたいという一心で、ただ自分がやりたいからやってきただけなんです」  (中略)

④私が指摘したいのは、本人にとって「熱中」と呼ぶべきものを、ともすると、傍らの人間が「努力」と見誤ってしまうことが多いのではないかということです。  子供が砂場で日が暮れるまで砂の城を作ったり、ゲームを徹夜でクリアしたり、エレキギターの練習に夢中になることは、まず滅多に、周りから「努力」と呼ばれることはありません。

⑤しかし一方で、ことこれが勉強やスポーツのトレーニング、ピアノやヴァイオリンの練習などの場合には、たとえ本人にとっては「熱中」と呼ぶべき内実だったとしても、周囲からは一律に「努力」として称賛される傾向にあります。  (中略)

⑥そもそも「努力」という言葉には、「辛いことを我慢して」というニュアンスが少なからず含まれた用いられ方になっており、一方の「熱中」については、「好きなことに自発的にのめり込んで」といったニュアンスがあります。

⑦先ほどのフィクションのように、「熱中」したがゆえに成功した人間を見て、周囲の人間がそれを「努力」と誤解したところに、今日の「努力」信仰が作り出されてきた大きな原因があるように私には思われてならないのです。』


2.①約2500年前の中国で孔子も言っています。  「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。  これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」(『論語』)

②「物事を理解し知っている者は、それを好んでいる人には及ばない。  物事を好んでいる人は、それを心から楽しんでいる者には及ばない。」という意味です。


3.①空手の指導も「努力」させるのではなく、「熱中」させる(=楽しませる)必要がありますね。  

②「努力」している時間はなかなか過ぎませんが、「熱中」している時間はアッという間です。  私が指導する選手稽古の時間も、チーム城西のメンバーにとって「アッという間」に過ぎていることを祈ります 笑


4.①大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手は、いつでも楽しそうにニコニコしながら、投げたり(8月22日現在・8勝1敗)・打ったり(40ホームラン)・走ったり(18盗塁)しています。  毎日感心しながら、試合を観ています。

②ちなみに、道場に貼ってある城西のチームカルチャーは

「どこよりも創意工夫する、どこよりも練習する、どこよりもそれらを楽しんでやる」

です。

③大活躍している大谷選手にあやかりたいものです(^^)/

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荒川道場

私が子どものころのヒーローと言えば、大相撲の若乃花(初代)、プロレスの力道山、巨人の王・長島です。

6月1日のYahooニュースで王選手に関する記事を見つけました。  タイトルは『王貞治の一本足打法を生んだ伝説の「荒川道場」』です。  全文に番号を付けて紹介します。

『①黄金期の巨人ではコーチと選手の間に強固な“師弟関係”があり、その関係性のもとで培われた力がチームを下支えした。  その代表例が1965年からのV9時代の礎となった荒川博・一軍打撃コーチの「荒川道場」だった。

②V9時代の巨人で、小柄ながらも闘志溢れるプレーで「豆タンク」の愛称で親しまれた黒江透修氏はこう振り返る。

「僕は3年目(1966年)に遊撃手のレギュラーになれましたが、すべて荒川コーチのおかげです。  前年の時点で、マスコミの前で“来年は黒江を2番に定着させる”と言ってくれた話を耳にして、その年の12月1日から荒川道場に通うようになりました。  当時は(毎日オリオンズ時代から荒川氏の後輩だった)榎本喜八さんが一番弟子で、二番弟子がワンちゃん(王貞治)。  オフに荒川コーチの前で練習をしていると、途中で榎本さんがやってきてバットを振るのですが、これがとてつもなく速かった。  見るだけでも勉強になりました。  ワンちゃんのスイングも正座しながら見ましたが、レギュラーは違うと思いましたね。          

それでも1か月、荒川コーチのもとに通い詰めて、少しは成果があったと思ったところで正月になった。  鹿児島の実家に帰ろうとしたら、榎本さんから“九州に帰る? レギュラーを取りたくないのか”と言われて、帰省をやめて正月も練習した。  荒川さんの船に乗った以上は、最後まで乗ってやろうと必死でしたね」

③当時の川上哲治・監督から指示を受けた荒川氏が、王氏と二人三脚で「一本足打法」の習得に励み、“世界の王”を育て上げたことはあまりに有名なエピソードだ。  黒江氏が続ける。

「荒川コーチのところに行けば、必ずうまくなるという思いがあった。  榎本さんやワンちゃんが厳しい練習をするのを見て、自分はもっとやらないといけないと思いましたよ。  2人の実績があるから、荒川コーチのもとで頑張ればうまくなるという確信が持てました」

④V9が始まった1965年に入団し、後に“史上最高の五番打者”と呼ばれた末次利光(当時・民夫)氏は、ルーキーイヤーの終盤にわざわざ荒川氏の自宅の近所に引っ越し、荒川道場に“志願入門”した。  末次氏が言う。

「最初はON(王貞治、長嶋茂雄)の後ろを打ちたいなんて大それたことを考えていたわけではなく、川上さんがONの後の5番を打たせるために他球団からどんどん大物選手を補強してくるので、“まともにやっていてはレギュラーになれない”と思って、荒川さんの家の近くに住むことにしました。  とにかく、なんでも吸収したいという思いでしたね。  近所なので、とにかく朝に晩にとスイング指導を受けました。  王さんや榎本さんというお手本がいたのも大きかった」

⑤現在の球界を見渡しても、そこまで強固に結ばれたコーチと選手の師弟関係は見当たらない。  末次氏はこう言う。

「今の時代に荒川道場がないのは仕方のないことでしょう。  打撃理論について、様々な情報に触れられる時代ですからね。  昔と同じような厳しい指導をしたらパワハラと言われかねないし、なかなか指導が難しくなっていると思います。  ただ、これだけ様々な新しい打撃理論の情報を目にする時代になっても、僕は“荒川道場を卒業できた”と思ったことは一度もありません。  それくらい、荒川さんが追い求めた野球理論は奥深いものでした」

私が指導する朝練も、「荒川道場」が理想形です。

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下剋上トレーナー

キックボクシングジム、パワーオブドリーム会長の古川誠一さんが書かれた『下剋上トレーナー』(ベースボール・マガジン社)を読みました。  「のびしろのない子が覚醒する瞬間」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①子どものなかには、のびしろのなさそうな子もいる。  (中略)

②運動神経や体力が秀でているわけではない。  そういう子どもたちでも諦めさせず、また教える側の僕も諦めず、選手になるまで育てられたという経験があるからこそ、今ならどんな子でも育てる自信がある。  本当に彼らには勉強させてもらった。

③今うちに通ってきている同じ六歳の子どもでも、運動能力には大きな差がある。

④ひとりの子は運動神経抜群で、(縄跳びの)二重跳びが150回もできるし、バック転もできる。  もうひとりは三歳からうちに通っているが、ずっと逆上がりも二重跳びもできなかった。

⑤でも、週に4、5回も頑張って通っているうち、少しづついろいろなことができるようになり、ちょっと前にはついに二重跳びもできるようになった。

⑥そういう子が1回できると、真面目に通っているだけにどんどん伸びる。  今まで全然集中力がなかったのに、どうしたの?  とビックリするくらい集中力も上がる。

⑦それは、できなくても諦めず、体に何回も覚えさせてきたからだ。  そこに少し筋肉がついたとたん、一気に〝覚醒〟したかのようになる。  それが自分でも楽しくなって集中力も上がり、どんどん運動能力も上がっていくというわけだ。

⑧親のなかには、我が子に対して見切りを早くつけたがる人もいる。  「どうやらのびしろがなさそうだから、ほかのスポーツ(習い事、勉強)をやらせよう」

⑨子どもが嫌がっているなら無理につづけさせる必要はない。  でも、もし下手でも一生懸命、楽しそうにやっているなら、のびしろのことはひとまず考えず、つづけさせてあげたほうがいい。

⑩我が子が一気に目覚めたときの感動は格別だし、目覚めるまでの過程は、そのまま親が子どもから学ぶ貴重な時間になる。』

なお、本日14時からフジテレビの『ザ・ノンフィクション』で、古川さんが取り上げられるそうです。  私も予約録画を済ませました。

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