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先崎学九段

プロ棋士の先崎学九段が書いた『うつ病九段』(文藝春秋)を読みました。  著者紹介には次のように書いてあります。  「2017年7月にうつ病を発症し、慶応大学病院に入院。  (中略)  そして一年間の闘病を経て2018年6月、順位戦で復帰を果たす。」  本書の最終部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①中学生の時、イジメにあった。  それまで小学校で3年間、内弟子という奇妙な体験をしてこまっしゃくれていた私は、中学校に入るとすぐにクラスで浮いた。  

②おりしも校内暴力の全盛期で、授業中に校庭でバイクが集団で走りまわり、トイレは喫煙防止のために仕切りがすべてなくされるような荒れた学校で、私はまたたく間に不良たちの「かわいがり」の対象となった。  私がどもりだったこともあるかもしれない。

③教師は、今では信じられないことだろうが、将棋のプロになるというのはヤクザになるのと同じくらいにしか思っておらず、まったく相手にしてくれなかった。

④はじめは無視されたり、将棋野郎といわれるくらいの軽いものだったが、当然の成り行きでエスカレートしていった。  半年もたつと教科書を盗まれたり、生徒手帳にバカと書かれて廊下の壁に貼られたりした。  椅子に大きくあざけりのことばが書かれていたこともある。

⑤いじめは学校の中だけでは済まなかった。  ある朝、家の壁に私を中傷する落書きがいくつも描かれていた。  学校へ行こうとすると、母親が黙ってそれを消していた。  いくら拭いても消えないのに、ただ黙ってモップでこすっていた。

⑥私はそれを見て、母親に学校へ行ってくるといったまま将棋連盟に行って、仲間と将棋を指した。  その日は連盟に泊まって、翌日帰ると落書きはさっぱり消えていた。  今に至るまで、このことを母親とはなしたことはない。

⑦私は猛然と記録係をするようになる。  記録係というのはプロ棋士の公式戦の記録をつける仕事で、朝10時からこれをすると学校へ行かなくて済む。  月に十日から十五日くらい記録係をして、できるだけその日は連盟に泊まるようにした。

⑧必然、週に一度も学校へ行かないようになる。  母親は何度も学校から呼び出しをくらい、私も同席させられた。  教師にイジメについて訴えても、そんなことはよくあることだとまったく取り合ってもらえず「学校に来ないとロクな人間になれんぞ」と声高にいわれた。  私はこいつのいうことを聞いたらロクな人間になれないと確信した。

⑨学校生活に比べると将棋界は楽園だった。  先輩たちは温かったし、ひとつの伝統ある世界の一員として扱ってくれた。  なにより仲間と将棋を指す時間は宝物だった。

⑩とはいえ毎日将棋だけにかかわるわけにもいかない。  私はむさぼるように本を読んだ。  学業をしていない分、圧倒的に知識がないのは明らかだった。  ひたすら本を読んで、だから今この原稿を書いている。  (中略)

⑪本を読んで知識を得、現場で勉強して常識を得、(アナウンサーの卵が通う学校に通って)どもりを直して中学時代のつらい経験を克服しようとしてきた。

⑫しかし、心の支えは何といっても将棋だった。  あの落書きをされた日、将棋を指す仲間がいなかったら自分はどうなっていただろう。  記録係をできずに学校へ行くよりなかったら・・・・・・。

⑬棋士になって様々な仕事をし、様々な人に会って臆せずはなせたのも、すべて自分は将棋が強いんだという自信があるからだった。  そう、私は腕一本で人生を切り拓いてきた。  そして今回もうつ病を、ひたすら将棋を指すことで切り抜けた。  

⑭だから大丈夫である。  もしうつ病に対する偏見があっても、将棋の力によって必ず切り抜けられるはずだ。  ベテランだから勝てないなんてことはどうでもよい。

⑮将棋の力であのイジメに勝ったのだ。 それが私の「誇り」である。  くだらない偏見なんてものに負けるわけがない。

⑯今、書いていて分かった。  こんなことを書いているくらいだから、うつはたしかによくなっている。』

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はらわた力

ドン・キホーテの安田隆夫創業会長が書かれた『安売り王一代』(文春新書)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ドン・キホーテの社内では「はらわた」という言葉が一般用語化している。  それがそのまま社内広報のタイトルにもなっているほどだ。  営業現場でも、「もっと『はらわた力』を磨け!」とか、「お前はまだ『はらわた』ができ上がっていない」などといった会話が、日常的に飛び交っている。

②この「はらわた」とは、私の生きざまと壮絶な体験を通じて、文字通り腹の底から湧き出てきた言葉だ。  (中略)  漢字で書けば「腸」となるだろう。  「腸(はらわた)」は「肝(きも)」とは違う。  たとえば「肝っ玉がすわっている」と言えば、物ごとに動じない堂々たる様だが、「はらわた」はそんなに立派なものじゃない。  未完成で泥臭く、およそスマートなイメージとは対極にある。

③しかしこの「はらわた」力の有無が、土壇場に追い詰められた人の明暗を決する。  周りがすべて討ち死にしても、一人だけ生き残る強運を、「はらわた」はもたらしてくれる。  私の言う「はらわた」とは、もがき苦しむ力であり、紆余曲折しながら最後に這い上がろうとする一念だ。

④川の濁流にのまれても、なりふり構わず土手にしがみつき、藁を掴んでも懸命に流されまいとする精神力である。  土俵際に押し込まれても、ギリギリで俵を割らずに耐えに耐え、切り返してうっちゃりを仕掛けようとするしぶとさだ。

⑤私は人生でも仕事でも、「もうダメだ」と進退きわまる局面に幾度となく陥った。  そんな時、いつも内から不思議な力が湧いてくる。  そして何らかの活路を見出し、どうにかこうにか浮かび上がる・・・・・・今もその繰り返しだ。

⑥それを支えるものとして、信念とか志、いわんや不撓不屈などという立派な言葉や理屈では、どうしても説明することができない。  少なくとも実戦派の私には、「はらわた」という表現しか思い浮かばないのである。

⑦人生も仕事も経営も、きれいごとばかりではない。  高邁な理想を語る前に、まずは目前にある現実との格闘が待ち受けている。

⑧だからこそ、「はらわた」を据え、常に粘り強く戦い続けなければならない。  繰り返すが、格闘における最大の武器は「はらわた」である。  そして「はらわた」の核を形成するのは、「何が何でもこうありたい」という自己実現の強烈な思いと執念、ひたむきさにほかならない。

⑨逆に独自の「はらわた」さえでき上れば、今のような時代の激変期には、驚くほど効率的に成功の階段を駆け上がることができる。  資本も人脈も経験もいらない。  だから私の中では、「はらわた」は人がのし上がっていく上での最大・最強のキーワードだ。』

安田会長は私が以前経営していた会社の株主の一人でした。  何度かお目にかかりましたが、明晰さとファイティングスピリットには常に感銘を受けていました。

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やってのける

1.7月15日に配信された藤間秋男先生のメルマガに『やってのける』という文章がありました。  番号を付けて紹介します。

『①「挑戦するだけ無駄だよ」  「できないって」  「絶対無理!」  「君はやめたほうがいいよ」
これらは、やる気を失わせる大きな影響力を持つ言葉。  自分は無力で、ひとりでは何も出来ない人間だと、思い込んでしまう。。。

②逆に「挑戦していこう」  「君ならできる!」  「おまえなら、やれるさ」
こう言われると、俄然やる気になる。  ですが。。。

③一番良いのはどんな言葉も力にすること。  どちらを言われても、「よっしゃ!  やってやろうじゃないか!」と思えたら、素敵ですね。

④人になんと言われても、エネルギーに変えていける。  そんな人でありたいですね。

⑤「人生でもっとも喜ばしいのは、君にはできない、と思われていることをやってのけること」 byウォルター・バジョット(経済学者)』(ゆうさんのブログ「100人の一歩~応援ブログ」)

2.『問題・・・父親と息子が車に乗っていて事故を起こし、大けがをして別々の病院に運ばれた。  すると、息子の運ばれた病院で出てきた医師が「これは私の息子です」という。  どうなってるの?

答え・・・医師は母親だった。』(7月17日朝日新聞「天声人語」)

3.『A・・・「あの若いのを見てごらんなさい。   髪を短くして、煙草を吸って、ズボンをはいているあの若いのをですよ。  いったいあれは男ですかね?  それとも女ですかね?」

B・・・「女ですよ。  私の娘です。」

A・・・「これはごめんなさい。  あなたが、あの娘のお父様と知っていたら、言葉を慎んだでしょうに・・・。」

B・・・「私は父親ではありませんわ。  母親です。」』(7月10日配信・本郷孔洋先生のメルマガ)

何が何だか分からなくなってきました(笑)  良い週末を!



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