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「ピンチの法則」五ヵ条

人生66年も生きてくると、ピンチに見舞われることが何度かありました。  そんな時に必ず取り出して読んだ本が、『朝は夜より賢い』(邱永漢著 実業之日本社)で、副題は「私の体験的ピンチ脱出法」となっています。  

著者の経済評論家・作家の邱永漢(きゅうえいかん)先生は2012年に亡くなられましたが、30代の頃、先生の主催する『邱友会』に出席させていただき、ご指導を受けていた時期があります。

私のブログで過去にも取り上げた『「ピンチの法則」五ヵ条』の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.(東京)大学を出て故郷(台湾)へ帰り、就職もしないで自分で何とかやって行こうと思ったときには、「いったい、これからどうなるのだろうか」と内心、暗澹たる思いがしたことを今でも記憶している。

2.私の場合はもう一回、香港へ行って同じ思いをくり返すという場面があった。  24歳のとき、私は台湾から政治亡命して香港へ渡り、「金も持たず」 「言葉もわからず」 「学歴も役に立たず」 「就職のあてもなく」 「友達もなく」、また「故郷へ帰ることもならず」異郷にただ一人おっぽり出されてしまった。

3.同郷の知人をたよって居候をきめ込み、約一年間、流浪の明け暮れであったが、このとき心配のあまりベッドに寝ころがったまま一睡もできず、窓が白んでくる体験を何回となくやったし、また目を悪くして、一ヵ月かかって下手糞の英語で「ファーイースト・エコノミック・レビュー」に寄稿をしてやっともらった百香港ドルの中から、眼鏡代に八十五ドルもって行かれたこともある。

4.そのときも先の見込みがまったく立たず、心細い思いをくり返したが、やがてどこからともなく結び目が解けて、次の道がひらけていった。  経済的なピンチについていえば、その後も何回となくくり返したが、似たようなことを何回か経験すると、慣れっこになるというほどではないが、ピンチにも法則があるということにいやでも気がついてくる。

5.「ピンチの法則」とは何かというと、

(1)ピンチというのは人生のリズムみたいなものであるから、周期的に必ずやってくる。  用心して予防策を講じていても、避けることはできない。

(2)ピンチにおちいるときは、身辺におこることがいずれもマイナスに働くから、八方塞がりの感じになる。

(3)ピンチにおちいると、奈落の底にでも落ちるような不安に襲われるが、それは心理的なものにすぎず、必ずどこかで底に足がとどく。  ただし、必ず一定の時間の経過を要する。

(4)ピンチの折返し点は、恐怖におちいって想像したよりもかなり上のところにある。  つまり、人間は自分で考えたところまでは、なかなかおちこまないものなのだ。

(5)ピンチから這い上がるキッカケは、ピンチにおちいる前に考えていたようなことからは生まれてこない。  苦しみにきたえられ、それが薬になってはじめて次の対策が生まれてくるのである。』

今回の新型コロナウィルスの緊急事態宣言が発令されたとき、真っ先に私の頭に浮かんだのは上の(1)です。  でも(4)にあるように「ピンチの折返し点は、恐怖におちいって想像したよりもかなり上のところにある。」と思います。

できる限りの対策はとりますが、「ある意味、得難い経験をさせてもらっている」ととらえ、泰然自若として過ごしていきたいなと考えています。


※追伸

このブログを書き終わった後、城西の指導員ブログおよびfacebookで昨日の『第1回 オンライン稽古』の投稿を見ました。

この大変な時期に、120名の方々に参加していただき、本当に感謝します。

緊急事態宣言の中、我々にできることは限られていますが、指導員一同精一杯努力させていただきますので、ご要望があれば、何でもご連絡ください。



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先崎学九段

プロ棋士の先崎学九段が書いた『うつ病九段』(文藝春秋)を読みました。  著者紹介には次のように書いてあります。  「2017年7月にうつ病を発症し、慶応大学病院に入院。  (中略)  そして一年間の闘病を経て2018年6月、順位戦で復帰を果たす。」  本書の最終部分から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①中学生の時、イジメにあった。  それまで小学校で3年間、内弟子という奇妙な体験をしてこまっしゃくれていた私は、中学校に入るとすぐにクラスで浮いた。  

②おりしも校内暴力の全盛期で、授業中に校庭でバイクが集団で走りまわり、トイレは喫煙防止のために仕切りがすべてなくされるような荒れた学校で、私はまたたく間に不良たちの「かわいがり」の対象となった。  私がどもりだったこともあるかもしれない。

③教師は、今では信じられないことだろうが、将棋のプロになるというのはヤクザになるのと同じくらいにしか思っておらず、まったく相手にしてくれなかった。

④はじめは無視されたり、将棋野郎といわれるくらいの軽いものだったが、当然の成り行きでエスカレートしていった。  半年もたつと教科書を盗まれたり、生徒手帳にバカと書かれて廊下の壁に貼られたりした。  椅子に大きくあざけりのことばが書かれていたこともある。

⑤いじめは学校の中だけでは済まなかった。  ある朝、家の壁に私を中傷する落書きがいくつも描かれていた。  学校へ行こうとすると、母親が黙ってそれを消していた。  いくら拭いても消えないのに、ただ黙ってモップでこすっていた。

⑥私はそれを見て、母親に学校へ行ってくるといったまま将棋連盟に行って、仲間と将棋を指した。  その日は連盟に泊まって、翌日帰ると落書きはさっぱり消えていた。  今に至るまで、このことを母親とはなしたことはない。

⑦私は猛然と記録係をするようになる。  記録係というのはプロ棋士の公式戦の記録をつける仕事で、朝10時からこれをすると学校へ行かなくて済む。  月に十日から十五日くらい記録係をして、できるだけその日は連盟に泊まるようにした。

⑧必然、週に一度も学校へ行かないようになる。  母親は何度も学校から呼び出しをくらい、私も同席させられた。  教師にイジメについて訴えても、そんなことはよくあることだとまったく取り合ってもらえず「学校に来ないとロクな人間になれんぞ」と声高にいわれた。  私はこいつのいうことを聞いたらロクな人間になれないと確信した。

⑨学校生活に比べると将棋界は楽園だった。  先輩たちは温かったし、ひとつの伝統ある世界の一員として扱ってくれた。  なにより仲間と将棋を指す時間は宝物だった。

⑩とはいえ毎日将棋だけにかかわるわけにもいかない。  私はむさぼるように本を読んだ。  学業をしていない分、圧倒的に知識がないのは明らかだった。  ひたすら本を読んで、だから今この原稿を書いている。  (中略)

⑪本を読んで知識を得、現場で勉強して常識を得、(アナウンサーの卵が通う学校に通って)どもりを直して中学時代のつらい経験を克服しようとしてきた。

⑫しかし、心の支えは何といっても将棋だった。  あの落書きをされた日、将棋を指す仲間がいなかったら自分はどうなっていただろう。  記録係をできずに学校へ行くよりなかったら・・・・・・。

⑬棋士になって様々な仕事をし、様々な人に会って臆せずはなせたのも、すべて自分は将棋が強いんだという自信があるからだった。  そう、私は腕一本で人生を切り拓いてきた。  そして今回もうつ病を、ひたすら将棋を指すことで切り抜けた。  

⑭だから大丈夫である。  もしうつ病に対する偏見があっても、将棋の力によって必ず切り抜けられるはずだ。  ベテランだから勝てないなんてことはどうでもよい。

⑮将棋の力であのイジメに勝ったのだ。 それが私の「誇り」である。  くだらない偏見なんてものに負けるわけがない。

⑯今、書いていて分かった。  こんなことを書いているくらいだから、うつはたしかによくなっている。』

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はらわた力

ドン・キホーテの安田隆夫創業会長が書かれた『安売り王一代』(文春新書)を読みました。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ドン・キホーテの社内では「はらわた」という言葉が一般用語化している。  それがそのまま社内広報のタイトルにもなっているほどだ。  営業現場でも、「もっと『はらわた力』を磨け!」とか、「お前はまだ『はらわた』ができ上がっていない」などといった会話が、日常的に飛び交っている。

②この「はらわた」とは、私の生きざまと壮絶な体験を通じて、文字通り腹の底から湧き出てきた言葉だ。  (中略)  漢字で書けば「腸」となるだろう。  「腸(はらわた)」は「肝(きも)」とは違う。  たとえば「肝っ玉がすわっている」と言えば、物ごとに動じない堂々たる様だが、「はらわた」はそんなに立派なものじゃない。  未完成で泥臭く、およそスマートなイメージとは対極にある。

③しかしこの「はらわた」力の有無が、土壇場に追い詰められた人の明暗を決する。  周りがすべて討ち死にしても、一人だけ生き残る強運を、「はらわた」はもたらしてくれる。  私の言う「はらわた」とは、もがき苦しむ力であり、紆余曲折しながら最後に這い上がろうとする一念だ。

④川の濁流にのまれても、なりふり構わず土手にしがみつき、藁を掴んでも懸命に流されまいとする精神力である。  土俵際に押し込まれても、ギリギリで俵を割らずに耐えに耐え、切り返してうっちゃりを仕掛けようとするしぶとさだ。

⑤私は人生でも仕事でも、「もうダメだ」と進退きわまる局面に幾度となく陥った。  そんな時、いつも内から不思議な力が湧いてくる。  そして何らかの活路を見出し、どうにかこうにか浮かび上がる・・・・・・今もその繰り返しだ。

⑥それを支えるものとして、信念とか志、いわんや不撓不屈などという立派な言葉や理屈では、どうしても説明することができない。  少なくとも実戦派の私には、「はらわた」という表現しか思い浮かばないのである。

⑦人生も仕事も経営も、きれいごとばかりではない。  高邁な理想を語る前に、まずは目前にある現実との格闘が待ち受けている。

⑧だからこそ、「はらわた」を据え、常に粘り強く戦い続けなければならない。  繰り返すが、格闘における最大の武器は「はらわた」である。  そして「はらわた」の核を形成するのは、「何が何でもこうありたい」という自己実現の強烈な思いと執念、ひたむきさにほかならない。

⑨逆に独自の「はらわた」さえでき上れば、今のような時代の激変期には、驚くほど効率的に成功の階段を駆け上がることができる。  資本も人脈も経験もいらない。  だから私の中では、「はらわた」は人がのし上がっていく上での最大・最強のキーワードだ。』

安田会長は私が以前経営していた会社の株主の一人でした。  何度かお目にかかりましたが、明晰さとファイティングスピリットには常に感銘を受けていました。

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