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ザ・スコアラー

今回は、プロ野球・巨人軍のスコアラーを22年間にわたって務められた三井康浩さんが書かれた『ザ・スコアラー』(角川新書)からです。  三井さんは2009年のWBC(ワールド・ベースボ-ル・クラシック)第2回大会では、日本代表チームのチーフスコアラーとして世界一に貢献しました。  その大会の決勝戦に関する記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①3月23日の決勝戦。  この大会で5度目の戦いとなった韓国代表とのロサンゼルスのドジャースタジアムでの決勝戦です。

②この試合を前に、私は具体的な指示を出すことをやめました。  なぜなら、これまで4度も戦ってきた韓国の選手たちの特徴は、完全に選手の頭のなかに入っていたからです。  ここにきての付け焼き刃の入れ知恵よりも、日本代表メンバーが大会を通じて見せてきたことを信じるべきだと思えたのです。

③選手が自分たちの頭で考え、グランドでヒントを見出し、攻略に結び付ける・・・スコアラーが出してきた指示は、あくまできっかけでいいのです。  実際にボールを投げ、打つ選手たち自身が自律的に正解を導き出していくことこそ、理想形なのですから。  (中略)

④日本代表チームは既に「なにかにたどり着けた」という感覚もあったのです。  わたしたちスコアラーが届ける、データという必要最小限の〝無形の力〟を、選手たちが〝有形の力〟として増幅させて戦う。  そんな理想へと。

⑤試合は予想通り、緊迫したシーソーゲームとなりました。  日本代表は1点をリードして最終回を迎えましたが、ダルビッシュ有が四球で走者を溜めた後、韓国代表の李机浩にレフト前へと運ばれ同点とされます。  (中略)

⑥そして10回表、3対3。  2死で一塁に岩村、三塁には内川。  マウンドには、韓国代表のクローザーを務めていた当時ヤクルトの林昌勇がいます。

⑦この決定的な場面で、打席には世界最高峰の打者であるイチローが向かおうとしていました。  イチローはこの大会、誰も見たことのないような不振にあえいでいました。  準決勝までの8試合で38打数8安打、打点3、本塁打0。  打率はなんと、2割1分1厘。  ただ、この決勝戦に限ってはここまで3安打を記録しており、最後の最後に彼らしさが戻ってきていました。

⑧もう、イチローのバットに託すしかありません。  しかし、打席に向かう直前、思わぬことが起こります。  大会を通じ、自分からなにかを聞いてくることなどなかったイチローが、ここでわたしに問いを投げかけてきたのです。

「この打席。  僕はなにを狙えばいいですか?」

⑨「えっ!  ここで聞いてくるのかよ・・・」。  心のなかでわたしはそう思いました。  本音をいえば、困惑しました。  でも、本当に大事な局面で選手に頼ってもらえたわけですし、ましてやイチローからの問いです。  スコアラーをしている身としては、なによりもうれしいことでした。

⑩もちろんそこで感動に浸っているわけにはいきません。  わたしはスコアラーとして、打つべき球を答えなければならない。  これまで通り、強く、短く、伝えました。

「シンカーだけ狙っていこう」  (中略)

⑪そして、8球目を迎えます。  捕手が構えたアウトコースよりわずかに内側に、そしてわずかに高く入ったボールにイチローが反応します。  鋭く出したバットがボールをとらえ、打球はセンターに飛んでいきます。

⑫歓声と悲鳴が交錯するなか、内川と岩村が揃って生還し5対3。  日本代表は、この一打で世界一を手中に収めました。

⑬イチローがとらえたボールはシンカーでした。』

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アイゼンハワー

『史上最大の決断』(野中郁次郎・荻野進介著 ダイヤモンド社)を読みました。  第二次世界大戦時、ナチス・ドイツ占領下にあった、フランス・ノルマンディーへの上陸作戦について書かれています。  連合国軍最高司令官のアイゼンハワー(のちの第34代アメリカ大統領)に関する記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①アイゼンハワーとは一体、どんな人物であっただろうか。  (アイゼンハワー本人の著書)『ヨーロッパ十字軍 最高司令官の大戦手記』にこんなエピソードがある。

②1945年3月23日、ノルマンディー上陸から9か月後、なおも抵抗するドイツ軍の息の根を止めるべく、ライン渡河作戦が敢行された日のことであった。

③アイゼンハワーは1人の兵士が意気消沈して歩いているのに出くわし、「どうした。  気分でも悪いのかね」と声をかけたところ、兵士はこう答えた。  「何かよくわからないのですが、妙に気になるのです。  2週間ほど前に負傷して入院してしまい、昨日退院したばかりで、自信を持ちきれないのです」

④それに対するアイゼンハワーの返答はこうであった。  「いや、私もいま君とそっくりの気持ちなんだ。  私も気になっている。  しかし、われわれは長い間かけて今夜の攻撃を準備してきたんだし、それにドイツ軍を粉砕するだけの飛行機も大砲も空輸部隊も全部揃っているんだ。  一緒にこうやって岸まで歩いているうちに、ことによるとわれわれも自信が持てるようになってくるかもしれない・・・・・・」

⑤この言葉を聞いた兵士は突然、こう言った。  「よくわかりました。  なんだか自信が出てきました」

⑥アイゼンハワーは地の文でもう一度、繰り返す。  〈私にも彼の気持ちがよく判るのであった〉

⑦大事な戦いを前に気落ちして悩んでいる兵士を怒鳴りつけるどころか、「自分も同じ気持ちだ」と打ち明ける率直さ、これが最高司令官の取る行動だろうか。  恐らく、その兵士も突然話しかけてきた身分の高そうな将校が最高司令官アイゼンハワーだとは気づかなかっただろう。

⑧アイゼンハワーという男は、一言で言えば「人たらし」であった。  謙虚で誠実、天真爛漫とさえ言う人もいて、およそ軍人らしくなかった。  もちろん軍人には不可欠の勇気と実行力も備え、楽天家でもあった。  先のエピソードでもわかるように、他人の立場をたちどころに理解する本能的能力を備えていた。  ことに彼の笑顔は、のちに「アイク・スマイル」と呼ばれ、一野戦車に匹敵するとまで言われた。  (中略)

⑨こうした最高司令官の態度にイギリス人将兵も好感を抱いた。  ある兵士は留守宅への手紙の中で、「最高司令官は、質素でかざり気のない服を着て、勲章もつけていない。  物腰は静かだが、自信と親愛感に満ち溢れた立派な指揮官だ」と書いた。』

私が理想とするリーダーのあり方です。  

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稀勢の里の優勝

1.このブログでもたびたび紹介していますが、私のスポーツTV鑑賞と言えば、NFLのニューイングランド・ペイトリオッツの試合とNBAのゴールデンステイト・ウォリアーズの試合です。  WOWWOWエキサイトマッチでボクシングの世界戦LIVEも観ます。

日本のものでは大相撲と柔道の日本選手権を観ます。  特に大相撲観戦は私が格闘技を好きになった原点で、初代・若乃花の応援から始まりました。  60年も前の話です(笑)

長い大相撲観戦歴の中で非常に感動した取り組みが二番あります。  一つは1975年3月場所の優勝決定戦で初代・貴ノ花が横綱・北の湖を破って初優勝を遂げた一番です。  もう一つは2001年5月場所の優勝決定戦で、14日目に右膝半月板を損傷する大けがを負った二代目・貴乃花が横綱・武蔵丸を破って22回目となる最後の優勝を果たした一番です。


2.昨日の稀勢の里の優勝は、それらに匹敵する一番でした。  スポニチアネックスにその二代目・貴乃花(現・貴乃花親方)のコメントが出ていたので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①稀勢の里は本当によく頑張りました。  逆転での優勝は横綱としての責任を果たした結果で、立派だと思います。

②13日目の日馬富士戦で左肩辺りをケガしたと聞きましたが、得意の左おっつけが出せるのかと心配しながら見ていました。  14日目は鶴竜にあっけなく負けてしまい、千秋楽も厳しい戦いになるのかな、と。  

③本割では左に変化して、痛めた左をなんとかねじ込もうとし、照ノ富士の動きを止めたことが良かったと思います。  押し込まれながらも、うまく回り込んで右からの突き落としで勝利をもぎ取りました。

④こうなると勝っている方が気持ちに余裕が出てきます。  決定戦で支度部屋に戻ってきた稀勢の里の顔を見たのですが、実にどっしりとしていました。  大関の時には自信がなさそうだったのに、横綱になり、本当に殻をひとつ破ったようです。  風格というか、堂々としたものを感じました。  

⑤立ち合いで相手にもろ差しを許しながら放った右からの小手投げは執念でした。  絶対に優勝するという強い気持ちが相撲に出ていたと思います。  照ノ富士も左膝が万全ではないうえ、疲れが出たのか、足が送れていませんでした。』


3.ネット版のスポーツ報知に、昨夜のNHK「サンデースポーツ」に出演した際の模様が出ていたので、これも抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①杉浦友紀キャスターの質問に答える形で、「応援のおかげでここまで来られた。  うれしい」と第一声。  13日目に左肩付近を負傷したが、「詳しいことは分からないけれど、たぶん大丈夫だと思います。  (本割の取組後は声援を受け)痛くはなかったですね」と答えた。

②本割での左の変化について問われると「足は元気なんでね。  足で何とかしようと…。  作戦というか、上手を取られたけれど動き勝ちというか」と振り返った。  

③優勝決定戦での小手投げについては「最後に賭けたって感じですね。  土俵際というか、そこに賭けていましたね。  (先代の師匠、元横綱・隆の里の鳴戸親方は)いつも稽古場で土俵際が面白いって言っていたので、(土俵際の)そこなんだよって。  いつも言っていたので、力を出せたのは教えのおかげというのもありました」と感謝を忘れなかった。

④君が代斉唱中の涙について聞かれると「お見苦しい姿をお見せしてすみませんでした。  色々な思いが…。  いろんな人の支えが…。  感謝の気持ちを思い出して涙が出ました」と話した。』


4.今年2月のスーパーボウルで3対28の25点差から逆転勝利したペイトリオッツといい、昨日の手負いの稀勢の里の優勝といい、大感動の勝利が続いています。  月並みですが、「最後まであきらめないこと」ですね。




 








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