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源平の争乱

6月8日のブログで『平家物語』を取り上げました。  今回は『乱と変の日本史』(本郷和人著 祥伝社新書)の中の「源平の争乱」に関する記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①なぜ源氏と平氏が戦ったのかという本質については、多くの人が(時に研究者ですら)、なかなか答えられません。  実際、この質問を講演会で投げかけると、「ライバルである源氏と平家の覇権争い」 「武士のリーダーを決める最終決戦」などの答えが返ってきます。

②これでは、紅白歌合戦のようなものです。  (中略)  この「赤が勝つか、白が勝つか」というわかりやすい構図は、小学校の運動会などにも使われますが、私はこの見方が日本人の外交下手につながっているように思います。

③なぜなら、現実の社会では「正義が勝つか、悪が勝つか」といった単純な図式で物事が動くことは、めったにないからです。  通常、AとBが戦うと、CやDといった第三勢力が出現し、複雑な動きが繰り広げられます。

④中国の歴史で言えば、紀元前五~三世紀の戦国時代に、「戦国七雄」と呼ばれる国々が割拠しました。  これらは時に戦い、時に牽制し、また連携しました。  (中略)

⑤魏・呉・蜀が分立した、三世紀の三国時代を見ると、魏が強大だったのに対し、呉・蜀は軍閥のような小勢力でした。  赤壁の戦いの時点で曹操の勢力を10とすれば、孫権が2、劉備が1ぐらいでしかありません。  しかし、小さな軍閥でも手を組むと、強大な勢力とそれなりの戦いができることを、私たちは学ぶことができます。

⑥最近の国際情勢で言えば、日本は「アメリカか、中国か」という単純な図式だけではなく、第三勢力の存在や、それらとの連携も視野に入れてもいいのではないか。  また、ヨーロッパやロシアとどうつきあっていくのか、あるいはどう利用するのかを考えないと外交は成り立たないと思うのです。  単純化した構図だけでは、現実の国際情勢を乗り切れません。

⑦こうした日本人の「赤か、白か」という発想の根幹にあるのが、おそらく源平の争乱ではないかと私は考えているのです。』

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絶対の正解

『応仁の乱』(中公新書)や『陰謀の日本中世史』(角川新書)の著者、歴史学者の呉座勇一さんのインタビュー記事が5月23日の日経新聞・朝刊に載っていました。  タイトルは『絶対の正解 求める危うさ』です。  番号を付けて紹介します。


『1.(序)

①日本人は歴史好きといわれるが、大人になってから学び直す機会は少ない。  歴史に材を取った小説やドラマも古い学説にのっとっていることが多く、最新の研究成果が一般の人まで届いていないのだ。

②大学で教えていると学生から「習ったことと違う」「なぜ高校で新しい知見を教えてくれないのか」という声が上がる。  だが問題の根本はそこではない。  「正解を知りたい」という気持ちこそが危険だと感じる。


2.情報の更新に目を向けず、「絶対の正解」を求める姿勢を問題視する

①歴史に限らず「唯一絶対の正解があり、そこに必ずたどり着ける」と考える人は多いが、現在の複雑な社会で、簡単に結論の出る問題はない。  性急に答えを欲しがり、飛びつくのはポピュリズムだ。

②新しい時代を生きる上で重要なのは「これが真実」「こうすればうまくいく」という答えらしきものに乗せられることなく、情報を評価するスキルではないか。  ネットを通じ、情報の入手自体は簡単になった。  それをいかに分析し、価値あるものを選び出していくか。  歴史学の根幹はこの「史料批判」にある。  リテラシーを身につけるひとつの手段として、歴史学の研究成果に親しんでもらえたらと思う。

③歴史を学ぶ意義は大きく2つある。  1つは現代の相対化だ。  かつて、いま我々がいる社会とは全く違う仕組みの社会が存在した。  異なる常識で動いていた社会を知ることが、我々の価値観を疑ったり「絶対に変えてはいけないものなのか」と問いかけたりするきっかけになる。  女性・女系天皇を巡る議論も、歴史を知ることなしにはできない。

④もう1つは、社会の仕組みが異なっても変わらない部分を知ること。  親子や兄弟の絆、宗教的観念などは、時代を超えて今につながるものがある。  この両面を通して、我々はこれからどう生きるべきか、ヒントを引き出せるのではないか。


3.一方で、歴史から手っ取り早く教訓を得ようという姿勢は危惧している

①目的意識が先に立つと、歴史を見る目がゆがむ。  自らの見たいものを過去に投影し、事実でないものを教訓にしてしまう。  自説の補強や正当化のために歴史をゆがめられては困る。

②歴史を叙述すれば、どうしても物語に接近していく。  だからといって、書きたいように書けばいいわけではない。  正解がわからなくても「これはあり得ない」ということはある。  間違った事実に基づく主張に対して、歴史的事実が誤っていると指摘するカウンターの役割を、歴史学者は担うと考えている。

③私が専門としている日本の中世は、権力の軸が見えづらい、多極的な社会だ。  現代に通じるものがある。  見通しが立たない時代こそ、リアルタイムの動きばかり追っていると、変化の波に翻弄されてしまう。  歴史を振り返り、長期的な視野に立つことが大切だ。』


最初、1.②の『「正解を知りたい」という気持ちこそが危険だと感じる。』という文章を読んだとき、誤植の可能性を疑いました。  しかし全文を読むと、あまりに単純に歴史的事実を解釈する危険性に対して、注意を促しています。

人生で起きる出来事も、多面的な要素があり、そんなに単純に解釈できるものばかりではありませんものね(笑)

「歴史を物語として学ぶ危険性」に関する呉座さんのインタビューは、昨年8月7日のブログでも紹介しました。

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軍事の日本史

1.『軍事の日本史』(本郷和人著 朝日新書)を読みました。  第1章「戦いとは何か」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①この章の締めくくりとして、ぜひ僕がご紹介したいデータがあります。  

②『〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊・・・日米兵士が見た太平洋戦争』(河野仁著 講談社選書メチエ 2001年)という本です。  これによると「玉砕する軍隊」と「生還しない軍隊」があるそうです。  日本の軍隊は玉砕する軍隊で、アメリカ軍は玉砕しないというのがその結論です。

③第二次世界大戦時のアメリカ軍兵士の戦闘行動に関する興味深いデータがあります。  それによると、敵と戦っているまさにそのとき、「撃て!」という上官の命令で鉄砲を撃とうとしても実際打てた人は四人に一人しかいなかったというのです。  自分の小銃を発砲した割合(発砲率)はせいぜい「20から25%」だった。

④この本の中で著者は、不用意に発砲することで逆に自分の居場所を敵に知られるリスクについて言及しています。  そうしたことは確かにあったことでしょう。  あるいは、キリスト教を信仰している人が多かったなど別の理由があるのかもしれない。  本当のところは分かりません。  ただ、人の命を奪うのは、アメリカ人にとってそれは大変なことだったというのです。

⑤別のアメリカの学術書にも、南北戦争のとき50%もの兵隊は敵の命すら奪うことはできずに、「撃て!」と命令されてもわざと的を外したという驚くべきリポートがなされているのを読んだことがあります。  それが人間の本質であるならば、当然、人間性を重視し、人間性に立脚した軍事というものが考えられてよいはずです。  だから国際法では捕虜の保護規定を設けているのです。』 


2.上の②で紹介されている『〈玉砕〉の軍隊、〈生還〉の軍隊・・・日米兵士が見た太平洋戦争』の講談社学術文庫版(2013年)も読みました。  序章「戦争と死」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①「戦闘意欲」の問題を最初に取り上げたのは、米陸軍の戦史研究者S・L・A・マーシャル大佐である。  

②かれは古典的業績となった『戦火の兵士』の中で、第二次世界大戦における欧州戦線および太平洋戦線での米軍兵士の戦闘行動を実際に前線に行って観察したり、作戦終了後に戦闘に参加した兵士を面接調査した結果、「米陸軍部隊兵士の交戦中の発砲率は最大限25%である」との観察結果を公表し、当時の米軍内部で大きな波紋を巻き起こした。

③これをうけて、朝鮮戦争までに米陸軍は兵士の訓練方法を改善し、1950年の朝鮮戦争時には歩兵部隊の夜間防御と昼間攻撃のいずれにおいても発砲率は55%を超えた。

④このマーシャルの研究によって明らかとなったのは「人間としての兵士」の問題である。  (中略)

⑤歩兵中隊長が「撃て」の号令をかければ「自動的に」その命令に服従して兵士たちは小銃を撃つ、というのは「神話」に過ぎない、ということを改めてわれわれに教えてくれたのである。』


3.31年目に入った「平成」が終わり、5月から「令和」が始まります。  テレビや新聞では様々な分野の「平成の歴史」が取り上げられています。

色々な面からの評価もあるでしょうが、少なくとも、日本が戦争することのない30年間を過ごせたことは幸せでした。
 

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