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日本海海戦の「丁字戦法」

1.8月7日のブログで「歴史を物語として学ぶ危険性」を取り上げました。  

朝日新聞夕刊の連載『大和とヤマトをたどって』の第4回(11月16日)・第5回(11月20日)は日露戦争・日本海海戦の「丁字戦法」について書かれています。

「丁字戦法」についてコトバンクで検索すると次のように出てきました。

『日本海海戦で用いられた旧日本海軍の砲戦戦法。  縦陣で進む敵艦隊の頭を味方艦隊が縦陣で横切りつつ敵艦隊を射撃する戦法。  味方が舷側砲火によって多くの火砲をもって敵の先頭に集中攻撃しうるのに対し,敵は少数の砲でしか射撃できない。  丁字を描くことから,こう呼ばれた。 』

2.連載記事から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①東郷平八郎は実在の軍人ながら「物語の主人公」になったと言える。

②東郷を巡る「物語」の中心は、1905年5月にあった「日本海海戦」だ。  連合艦隊司令長官の東郷は、敵艦隊の眼前で「大胆不敵な180度ターン」を指示。  名参謀秋山真之(さねゆき)が考案した、敵艦隊の一部に味方の集中砲火を浴びせられる艦隊運動「丁字戦法」を実行してロシア艦隊を壊滅させ、日本を救ったとされる。  作家・司馬遼太郎は「坂の上の雲」で、海戦序盤の東郷の指揮を「ほとんど無謬(むびゅう)」とまで絶賛した。

②だが、近年の研究で明らかになったのは、日本海海戦の東郷を巡る「物語」と、現実の戦闘との乖離(かいり)だ。

③長年、各国の海軍史を研究してきた中川務(86)は日本海海戦時の日本、ロシア両艦隊の動きを分析し「東郷ターンで展開された戦況は、丁字戦法の理論とかけ離れた別個のもの」と結論づけた。

④ターンの直後、日ロ両艦隊は、日本側が圧倒的に有利となる「丁字」ではなく、双方が同じ向きに航行しつつ全力で砲火を交える「並航戦」へと移行。  東郷の華麗な指揮で敵を翻弄(ほんろう)したのではなく「力任せの殴り合い」になったのだ。  日本が勝利したのは、大砲の性能や射撃の精度がロシアを上回ったからだった。

⑤東郷が危険を冒して敵前ターンを行ったのは「丁字戦法のためではなく、味方に犠牲を強いてでも敵の頭を抑え、逃亡を防ぐことが目的だった」と中川はみる。  (中略)

⑥こうした現実から浮かび上がる東郷像は「神がかった英雄」ではなく、「なりふり構わず勝利をつかもうとする、しぶといリアリスト」の顔だ。  なぜ「物語の東郷」は、現実の東郷からかけ離れてしまったのか。

⑦実は、東郷を巡る物語には「原作者」がいた。  「文才提督」と言われた海軍中将小笠原長生(ながなり)だ。  小笠原は東郷と極めて近く、東郷の発言を外部に伝える役割をほぼ独占していた。

⑧日本海海戦から約1カ月後の1905年6月30日。  朝日新聞に「日本海海戦談」が掲載された。  記事では「当日東郷大将の執られたる戦法が丁字戦法」とされた。  この記事のベースとなったのが、大本営の広報担当だった海軍中佐・小笠原長生が、前日に東京都内で行った講演だった。  多くの研究者は、この記事が「日本海海戦の勝因は丁字戦法だったという物語」が広がる出発点になったとみる。

⑨一方、小笠原が事実上の編集長を務めた海軍の公式戦史には、日本海海戦の実戦で「丁字戦法を使った」という記述はない。  小笠原が実際には丁字戦法が用いられなかったことを知りつつ、「一般向けの受け入れられやすい説明」として丁字戦法に言及したことがうかがえる。

⑩防衛大学校名誉教授の田中宏巳(75)によれば、小笠原は文才に恵まれ、日清・日露戦争の公式戦史編集で中心的役割を果たした。  (中略)  (小笠原が書いた)大衆向け日本海海戦記「撃滅」はミリオンセラーとなり、その「主人公」東郷は国民的英雄となった。

⑪「撃滅」には次の一節がある。  「我が東郷大将の活眼に至ってはほとんど神の如(ごと)く、一度かうとにらんだが最後、必ずそれが的中して事実の上に現れ来たるから恐ろしい」。  現実の東郷は、日本海海戦に先立つ黄海海戦では、判断ミスで敵を逃しそうになるなど「無謬(むびゅう)の人」ではなかった。  小笠原がそれを知りつつ自らの筆力で「東郷の物語化」を図ったのは疑いない。

⑫田中は「太平洋戦争に参加した大多数の将兵は、日露戦争の時のような日本の勝利を確信していた。  小笠原が形成した東郷像は、その確信の原点にあった」とみる。

⑬私が「宇宙戦艦ヤマト」の艦長沖田十三に憧れたように、小笠原の作った東郷像に憧れ、長じて実際に戦場に赴いた若者は数知れない。  (中略)  人間は事実の羅列だけでは動かない。  人を動機づけるには「強い情動を引き起こす物語」こそが必要なのだ。』

日本海海戦は、極真の大会でいえば本戦・一本勝ちではなく、再延長・判定勝ちに近かったのかも知れません。

10年以上前、神奈川県横須賀市の三笠公園に展示されている『三笠』を見ました。  現在は記念館になっており、中央展示室のパノラマ模型では連合艦隊とバルチック艦隊の動きが再現されています。

その時は、「これが『丁字戦法』か~!」と感激したのですが。

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二種類の頑固

(1)昨年の4月に86歳で亡くなられた渡部昇一先生が書かれた『終生 知的生活の方法』(扶桑社新書)を読みました。  2004年に出版された『老年の豊かさについて』(大和書房)の加筆修正版です。  亡くなられる直前に入稿されていたそうです。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『1.豊臣秀吉と伊達政宗

①豊臣秀吉も朝鮮出兵などしなければ、豊臣家滅亡という悲惨な結末を招くことはなかったはずです。  彼はそれまでずっと成功し続けてきました。  その成功体験で最後の最後に大勝負に打って出たのですが、完全に時期を誤りました。  膨大なエネルギーを要する大事業は三十代か四十代でやるべきです。  (中略)

②指揮系統がしっかりして補給さえうまくいけば勝つことは難しくなかったはずです。  若い頃の秀吉、あるいは信長なら、その辺をよく分析して、抜かりなく準備したと思います。  

③しかし、現実には二度目の朝鮮出兵は惨憺たる結果に終わりました。  残念ながら秀吉は、日本史において晩節を汚した典型になってしまったのです。

④一方、猛将でありながら、節度ある晩年をおくり、名誉を保った人もいます。  それは伊達政宗です。  政宗は天下を狙える力量を持つほどの武将でしたが、天下の大勢を判断して、関東には攻め上がりませんでした。

⑤秀吉の器量に服し、のちには家康につきます。  天下を狙えるほどの能力を持ちながら、天下の大勢と自分の年齢を考えて徳川幕府と共存することにしたわけです。  彼が仙台にとどまったのは決して恥ではありません。  むしろ英断と称えられる行為です。


2.二種類の頑固

①今の秀吉の例にも関連しますが、よく老人は頑固だと言われます。  ただこの場合は、単に適応能力の喪失を示すだけの頑固と、一つの信念に基づいた頑固との二種類あると思います。

②私は、信念に基づく頑固者がたくさんいる国の方が尊敬されると思います。  その例がイギリスです。  ヨーロッパのどこの国に行っても、好き嫌いは別として、イギリスには一目置いているところがあります。

③イギリス人は頑固者や変わり者が多い国です。  頑固でなければ生きられない状況があったのです。

④イギリスではピューリタン革命でクロムウェルが国王の首を切りました。  その時に王党派についた騎士階級はひどい目に遭いましたが、王様と英国協会に対する忠誠心を捨てないで王政復古を迎えたのです。

⑤王政復古の後は、ピューリタンは失脚して再び迫害を受けますが、断固として自分たちの信念を守りました。  ピューリタンはウソを言わず、勤勉に仕事をしましたから、上流階級にはなれなかったものの、中産階級の中心になりました。  これがイギリス人の背骨になったのです。

⑥信念の固い彼らの血を受け継いで、イギリス人は愛国心が強く、新しいものが流行しても、自分たちは自分たちだという考えで古いものを容易に捨てません。』

「信念に基づく頑固者として、晩節を汚さずに生きたいなぁ~」と思う今日この頃です。


(2)老人の話をもう一つ。

『おじいさん 「肉まんください」
 
店員   「おいくつですか?」

おじいさん 「いくつに見えますか?」
 
店員   「・・・いくつでしょうかね・・・?」

おじいさん 「もう80なんですよ」

店員   「肉まん80個で7,392円になります」
 
おじいさん 「いや・・・そうじゃなくて」
 
店員   「7,392円になります」

おじいさん 「・・・」』

(一昨日配信されてきた公認会計士・本郷孔洋先生のメルマガより)

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アイデアはどれも偉大

10月30日に配信されてきた公認会計士・藤間秋男先生のメルマガから抜粋し、番号を付けて紹介します。  タイトルは『アイデアはどれも偉大』です。

『①家族でアメリカへ移民してきた青年がいた。  青年は兄弟の繊維業を手伝った。  

②24歳、彼は新たなビジネスとして、毛布やテントを売る行商を始めた。  しかし、テントは売れ行きも悪く、在庫が山のように残った。  ふと気づくと、世の中にはゴールドラッシュが沸き起こり、一攫千金を狙う男たちが大勢集まっていた。  彼は男たちの作業ズボンの需要に目をつけた。  男達は激しい労働に耐え抜く、丈夫なズボンを必要としていたのだ。  売れ残ったテントの生地でつくったズボンは、一般的なズボンの10倍の値段で飛ぶように売れた。

③37歳、彼の会社は4階建てのビルに・・・彼は成功者の仲間入りをする。

④43歳、ある男から、ポケットを破れにくく工夫したブルージーンズを見せてもらった。  その男のアイデアはポケットに金属鋲を打ち付けて補強することにこだわった。  彼と男は、ポケットのアイデアを特許として申請。  そのブルージーンズを「オーバーオール」と名づけ、製造を始めた。  のちに会社の売上は20億ドルに達し、世界最大の既製服メーカーになった。

⑤彼の名は、リーバイ・ストラウス。

⑥57歳、彼はブルージーンズの頑丈な品質を最大のセールスポイントにしょうと考えた。  腰に「もし、このズボンが破れたら取り替えます」と記した革のラベルをつけたのだ。  このラベルには製品番号の「501」も記載された。  彼のアイデアは偉大なものだった。

⑦73歳で彼が亡くなった後、ブルージーンズは若者のシンボルとなった。

⑧130年以上もたった今も「リーバイス501」は世界で最も売れているジーンズである。

⑨アイデアはどれも偉大。  それを実行すれば・・・  アイデアがうまくいかなければ、変えてみればいい・・・  人生もうまくいかなければ、変えてみればいい。  あなたの人生は、成功するようにできているのだから・・・

(『情熱思考』是久昌信著)』

私が極真空手修業で一番大切にしていることは「創意工夫」、つまり「常にアイデアを生み出そうとする」ことです。  組手技術もトレーニング方法も創意工夫次第で素晴らしいものになりますし、創意工夫しなければありきたりの陳腐なものになってしまいます。  ありきたりの組手技術やトレーニング方法からは、ありきたりの選手しか生まれません。

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