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フロー状態の入り口は「楽しむ」こと

『TIME OFF 戦略的休息術』(ジョン・フィッチ他著 クロスメディア・パブリッシング)を読みました。  カナダ人武闘家・コーチのフィラス・ザハビさんに関する項から抜粋し、番号を付けて紹介します。  

『①フィラス・ザハビはそこいらのコーチとは違う。  彼は伝説のトリスター・ジムのオーナーで、伝説のファイターを輩出してきた。  そのひとりが、9度の防衛に成功したことで有名な、2階級制覇王者の総合格闘家ジョルジュ・サンピエールだ。  (中略)

②ザハビは「自覚的運動強度」と、ミハイ・チクセントミハイの「フロー」についての研究を結びつけて、パフォーマンスにとってもっとも良い環境について説明する。

③「フローチャネル」という最適なゾーンは、不安と退屈のはざまにある。  難しすぎると不安になり、簡単すぎると退屈だ。

④そして完璧なフロー状態においては、自身のスキルと難易度が一致していると感じる。  だから、喜びを感じる。  どんな活動でも、フロー状態になると嬉しくて効率も上がる。  (中略)

⑤フロー状態になる方法は人それぞれだ。  不安を感じるまで追い込まれないとフロー状態になれないと思っている人が多いけれど、きちんとした自覚的運動強度を知るトレーニングをしていれば、そんな必要はない。  痛みを伴うトレーニングでヘトヘトにならなければならないと考えてしまったら、運動を始めようと思っている人にはハードルが高くなる。

⑥「フロー状態まで連れていってくれるトレーニングをしっかり把握することだ」と、ザハビはアドバイスする。

⑦なにに取り組むにしろ、フロー状態の入り口は「楽しむ」ことだ。  難しすぎず、簡単すぎないレベルの仕事やワークアウトをデザインしてみよう。  そうすれば、楽しくてもう1度やりたくなる。

⑧「フローという概念は天才的だよね。  フロー状態、フローをつかむと、時間があっという間にすぎる。  最悪なワークアウトは、1分が何時間にも感じるやつだ。

⑨フローに入っていると、難易度が自分に合っているからストレスは感じない。  だけど退屈というわけでもない。  トレーニングははまらないと意味がないからね。  みんながワークアウトにはまったら、健康的でしゃきっとしている人ばかりになると思わない?   無理する必要なんてない。  やりたいと思えないと意味がない。  だってコンスタントにできなければ、極めるなんて無理なんだから」

⑩ザハビは厳しいトレーニングに反対しているわけではない。  しかし、厳しいトレーニングをするときはかなり周到な準備が必要だと考えている。  「ときどきは激しさも必要かもしれない。   準備ができているときだけね。  そして激しさは、量を増やすことで達するとして、それでもやっぱり楽しくなきゃダメだよね」

⑪フロー状態を念頭に置いた彼のアプローチのおかげで、ジョルジュ・サンピエールはUFCで膨大なトレーニングを積み、動き回り、トップに君臨することができたのだ。  「ジョルジュの強さの秘密だよ。  健康の秘密でもある。  みんな列をなしてジョルジュとスパーリングしたがる。  彼とすれば、フロー状態に入れるから。  ジョルジュは熟知しているんだ」』

ジョルジュ・サンピエールの格闘家としての基礎は、7歳から始めた極真空手にあったそうです。

2012年2月には来日して松井章奎館長を訪問し、参段を授与されています。





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運を呼び込む努力と感謝

いくつか関心のあるテーマがあって、それに関する文章をよく読みます。  最近だと「健康」がその一つですが、若いころからずっと続いているのは「運」というテーマです。

昨日の日経新聞・夕刊に「運」に関する寄稿が二つあったので、抜粋し、番号を付けて紹介します。

1.「運を呼び込む努力と感謝」・・・プロトレイルランナーの鏑木毅さん

『①小学生の前で自分の経験を伝える機会があり、あるとき、子供から「将来(何らかの)プロスポーツ選手になって世界で活躍したいです。   どうすればいいですか」と尋ねられ、答えに窮したことがある。

②というのも私自身、運動でずば抜けた能力はなかったから。  能力不足を自覚していればこそ、それを補おうとこのトレイルランニングというスポーツで誰よりも努力した。  その自負はある。

③だが努力さえすれば夢は必ずかなうのかと問われると、残念ながら必ずしもそうとは言えない。  子供たちの夢を壊してしまうようだけれど、実は「運」に巡り合うタイミングがなによりも重要になるのだ。

④競技活動を支えてくれる協力者やスポンサー企業が見つかり、レース時に運良くライバルが存在するかどうか。  気象条件はもちろん、マクロ的な目線でみていくと、時代の流れなども関係してくることがある。

⑤自分ではコントロールできないさまざまな要素を味方につけないと、プロスポーツ選手として大きな成果は得られなかった。  自分は単に運がよかったのかもしれない。  心底、そう実感する。  ただこう伝えてしまうと、この子は失望するだろうか。

⑥とらえどころのない「運」。  その中で自分自身でコントロールできるものがあるとするなら、それは人への気遣いだと感じる。

⑦国内の大会で連戦連勝を飾り、世界への挑戦を始めた当初、妻からびしりと言われた。  「あなたは最近はてんぐになっている。  そんな状態だと応援されなくなるわよ」  (中略)

⑧それ以来、なるべく初対面の人にも話しかけやすい雰囲気づくりを心がけた。  すると協力してくれる人も自然と増えると同時に自分の競技力も上がっていった。

⑨気遣いが競技力を直接、高めるわけではない。  立ち居振る舞いに気を配り、年齢がかなり下の人にも敬う姿勢を忘れないよう注意していると、自分の責任の重さや期待を再認識できた。  それを糧として積み重ねた努力が結果として世界への扉を開いたのだと思う。

⑩冒頭の子には「まずは一生懸命に努力してね。  そして決して感謝の気持ちを忘れずに、誰からも好かれる選手になってね」と伝えた。

⑪運は全くの偶然ではない。  自分の手でつかめるよう努力し、引き寄せることもできる。  今はそう考えている。』


2.「残された時間は少ない」・・・漫画家の竹宮惠子さん

『①(前略)  感動をWBCは我々に再び与えてくれた。  もう目を丸くして驚くような展開が繰り広げられ、「野球の神様が用意した舞台」と言われるような名勝負で締めくくられた。  それは今更この場所で述べなくとも、多くの人が知るところだ。

②私がユニコーン・大谷翔平を更に強く意識したのはあるCMで語る彼の言葉だった。

③自分が体の調子も良く、年齢的にもべストに野球を理解しており、打席がどのように回ってくるか、誰が相手ピッチャーか、などなど、様々な条件を入れると、あとどのくらいベストなプレーが残せるのか、決して多くの時間はないのだ、というような意味のことを語っている。  修行僧みたいだと、いろいろな人が感じているのはこういうところかもしれない。

④でも、彼は自分の幸運をしっかり掌握していると思った。  運を呼び込むために何をすべきか、どんなスタンスで待てばいいか、準備となるような考え方はどんなものか。  そして肩に力を入れることなく彼はいつも自分の持ち物に感謝している。  そうしないと運の神様との駆け引きに負けると言わんばかりに。  そんな風に見えるのは私だけだろうか。

⑤若い人、特にこれから世に出て自分を問う人へこんな言葉を贈る。  「自分が出会うすべての機会は奇跡のようなもの。   二度と同じ瞬間は巡ってこない。  だからその幸運(あるいは不運)を大切に」。

⑥でも、どれくらいの人が、すべてが二度とないことを知っているだろう。  この瞬間が常にいとおしいと、どんな時にも思いたい。』


3.鏑木さんは⑩で、竹宮さんは④で、「運」と「感謝」との関係に言及しています。

5月13日のブログでも瀧靖之さんの著書から次の文章を紹介しました。

『ノーベル賞をはじめ、優れた業績に贈られる受賞者の会見や、スポーツで優勝した選手のインタビューなどをテレビで見ていると、感動をもって気づくことがあります。

受賞された方々の多くが、眼を熱くして、「この賞は、私一人の賞ではありません。  支えてくれたみなさんと一緒にいただいた賞です」と、語っています。  自分個人に与えられた賞でありながら、自分を育ててくれた恩師の方や、一緒に仕事をした仲間、支えてくれたスタッフ、そして、両親や家族への感謝でいっぱいの受賞者の姿が、いつも印象強く心に残ります。』


4.感謝の気持ちの少ない人で、長期的に運のよい人を見たことがありません。  

城西支部では昇級した少年部に帯を渡すとき、「空手を習わせてくれているご両親への感謝を忘れないように」と伝えるようにしています。

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知的好奇心と共感力その2

前回のブログで、子どもの将来にとって大切な能力として「知的好奇心」と「共感力」を取り上げました。  

『秘伝』今月号の連載『武道者徒歩記』(日野晃著)のタイトルは『社会で一番重要な能力とは?』でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①自分が活動する場としての社会で、一番重要な事は何だろう?   これも当たり前の事だが、「コミュニケーション能力」とそれと同時にある「人間関係を築く能力」がある事だ。  さらに贅沢を言えば「気遣いが出来る事」だ。

②その3つがあれば、そして、それらに加え人間に嫌味がなければ、社会に出ても上司や先輩達に引き立てて貰える。  そういった引き立てがあるから、学校を卒業した当初の社会生活の未熟な時、仕事であれ人間関係であれうまく行くのだ。  もちろん、起業をするとしても同じ能力が必須だ。

③重要なのは、決して専門のスキルではない事だ。  もちろん、スキルはあった方が良いに決まっているが、それが無くてもこの3つの能力さえあれば、社会では生き抜いていけるのだ。  (中略)  

④これらの能力の基礎は、幼児期から少年期に鍛えられるのではないかと私は考える。  それは、野生の時代だからだ。  お母さんから産まれ、良いも悪いも何もかもを知らない、何もかもを体験していない状態があり、そこからたった1年や2年しか経っていない時期だ。

⑤また、幼児の出だしは、それこそ家族や周りの見知った大人達しかいない状態から、同年代、もしくはそれに近い年代の幼児達と初対面し、自分の言い分というか我がままというか、思い通りにいかない事がある、という事に戸惑う時期だ。  (中略)

⑥幼児期少年期の良い所は、年齢差を超えて遊ぶところにある。  お兄ちゃんお姉ちゃんから、遊びやルールを教えて貰う事があったり、時には意地悪されたりもする。  そんなごった煮が気持ちを強くさせたり、顔色を見るという事も覚えるのだ。  これぞ社会性が育つ種である。  (中略)

⑦そして、自分自身の「好奇心」のおもむくままに行動するのが基本だが、見知った人以外の人が出現する事で、つまり、知らない人と認識する事で、人見知りしたり懐いたりといった事が混在する時期でもある。

⑧また、「好奇心」のおもむくままの行動や行為は視線に表れていて、驚くほど透明で怖いほど鋭い視線を浴びせて来るのもこの時期だ。  この視線は生物として本能に属する重要な状態なのだが、これは自意識の発達や知識が増える程に消えて行くから不思議だ。  どうして怖いほど鋭い視線なのかというと、「好奇心」そのものとその「好奇心」の強さが意志の方向を明確にするからだ。

⑨社会では、個人の個性や創造性が大事だと言われている。  では、その個性や創造性は何時何処で育まれるのだろうか?   本来は先程の幼児期が基本となる。  どれだけ「好奇心」だけで動き回ったかだ。  場合によっては、その「好奇心」で何かを作ったり、何かのコレクターになったりする事もある。

⑩私の愚息は2歳くらいの時、街を走る自動車の名前を全部言い当てていた。   愚息が自動車の名前を当てるので「どうして分かるのか?」と、何度質問したか分からない。  とにかく、何かに執着しているような特異性を発揮する事もある。』

①~⑥は「共感力」、⑦~⑩は「好奇心」について書かれています。

※文中の「好奇心」の「」は私が付けました。

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