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量は質を凌ぐ

『ひとりで生きる』(伊集院静著 講談社)を読みました。  「人間の基本」の項から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①人間が、一人でやれることには限界がある。  たとえどんなに優秀な人の能力でもだ。

②では皆で力を合わせてやれば、何でもできるかというと、これも違う。  これには大前提があって、まずは一人一人の能力を高めることが必要なのである。

③どうやれば能力が高められるか?  これは、基本、他人と同じ学び方をしないで、その人独自の学び方を、どのくらいの時期に獲得するか、という点が大切になる。

④早ければ早いほどイイが、早過ぎると、精神、情緒がともなわない場合が多く、・・・私は優秀な人間である。  と勘違いするし、傲慢になる。

⑤勘違いと傲慢は、その人の成長をたちまち止まらせる。  天才と言われて、その気になったら終わるのと同じである。

⑥謙遜になれと言っているのではない。  勘違いとか傲慢なぞ、思う暇もないほど励まないと、人並み以上の能力は身に付かないし、未知の領域にあるものを発見したり、創造したりする作業、行為は、おそらくそういうものなのだろうと思う。

⑦一番イイのは、他人の何十倍もやり続けていることに気付かないことだ。  それが当たり前と思って、いや思うことすらないのがイイ。

⑧私は自分の能力を、この程度だと、三十歳半ばで知ったが、遊べば遊ぶほど、自分の程度に抗って生きるのも面白かろうと思うようになり、五十歳半ばから他人の倍、次に三倍と働きだした。  〝量は質を凌ぐ〟 〝バカは倍やるしかない〟 これを信じることにした。

⑨まだ失敗続きだが、瓢箪とて、やたらと振っていれば妙な駒が出るかもしれない。  ヘェヘヘヘ。 

⑩なぜそうしたか?  〝ひとりで生きる〟ことが人間のまず基本らしいということが経験でわかったからである。

⑪孤独とは違う。  まずはひとりで生きる力と精神を養うことが、大人の男になる大前提だとわかったからだ。』

別の項で著者は 「毎月、四百枚から六百枚(四百字詰)の原稿を書いている」 「ボールペンのインクが二晩でなくなる」と書かれています。

7月21日のブログで紹介した、北方謙三先生のインタビューでも「月に千枚書いても文章は乱れなくなった」とありました。

〝量は質を凌ぐ〟  チーム城西もこれだな~(笑)

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前十字靭帯

『人体、なんでそうなった?』(ネイサン・レンツ著 化学同人)を読みました。  前十字靭帯に関する記述から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①ほかの霊長類はみな、四肢を使って移動するが、ヒトは二本の足で歩く。  これを二足歩行と言う。  (中略)  ヒトの解剖学的構造は進化し、足や骨盤、脊椎を変化させることによって、立っている姿勢を保てるようになった。  (中略)

②前十字靭帯という名前を聞いたことはあるだろうか?  この靭帯の断裂は、スポーツをしているときのケガとしてよくみられる。  基本的に衝撃が大きく、テンポの速いスポーツで起こる。

③前十字靭帯は膝の中央に位置し、大腿骨と脛骨をつないでいる。  膝頭の下、関節の内側深くにあり、膝の上と下の足をつなぎとめるのことがおもな役割だ。

④ヒトの前十字靭帯は、直立した二足歩行の姿勢のせいで、もともと意図されていたよりずっと大きな負荷に耐えなければならなくなったため、切れやすい。

⑤四足動物が走ったりジャンプしたりするとき、その負荷は、四本の足全体に拡散し、足の筋肉がその負荷の大半を吸収する。  ところが、僕らの祖先が二足歩行に移行したとき、負荷は四本ではなく二本の足にかかるようになった。

⑥この負荷は足の筋肉にとって大きすぎたため、僕らの身体はこの負荷を和らげるべく足の骨を役立てた。  その結果、人間の足はまっすぐになり、筋肉よりむしろ骨が衝撃の大半を吸収するようになった。  (中略)

⑦まっすぐに調整された足は、通常の歩行や走行時には問題を生じない。  けれども、走っている途中で突然止まったり、すばやく向きを変えたりなど、不意に方向や運動量を変えたとき、膝に突発的で集中的な負荷がかかる。

⑧前十字靭帯は十分に強くはないため、骨がねじられたり引っぱられたりすると、骨をつなぎとめられず切れてしまうことがある。  なお悪いことに、種全体でどんどん体重が重くなっているので、突然の動作によって前十字靭帯にかかる負荷がますます大きくなっている。  (中略)

⑨この問題への対処法としては、減量以外ほとんどない。  前十字靭帯を運動で補強できないのだから、仕方がない。  繰り返し負荷をかけたところで、この靭帯を鍛えることはできず、むしろ弱くなる。

⑩前十字靭帯が断裂すると、それだけでも十分悪い状態なのだけれど、さらに手術での修復が必要になる。  靭帯にはあまり血管がないため、膝の手術では、回復とリハビリに長い時間がかかる。

⑪靭帯に栄養を供給する血管は限られているし、通常は治癒や組織の再建を行う細胞が少ない。  そのため、この靭帯の断裂はプロスポーツ界では非常に恐れられているケガなのだ。  多くのプロスポーツ選手にとって、前十字靭帯の断裂は丸々一シーズンを失うことを意味する。』

昨年3月に石崎恋之介が前十字靭帯の手術をしました。  本書を読んで、その大変さが実感できました。

一年半が経過して、大分動けるようになってきたようです。  後は、減量ですね(笑)  

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少年部と試合

昨日は城西支部の内部試合でした。  午前中が型で、午後がセミコンです。  午後の閉会式で話した内容について、改めて補足解説します。

『①極真会館では現在、(1)大山倍達総裁が創られた直接打撃制のフルコンタクトルール組手、(2)十数年前から実施している型、(3)昨年から実施している顔面寸止めありのセミコンタクトルール組手の3形式の試合競技を行っています。

②空手の流派によっては試合競技を行わず、実戦を想定した生涯武道としての修行を行うところもあります。

③試合を行うことには、(1)試合を目指すことがモチベーション(動機)となって稽古に打ち込むことができる、(2)試合の緊張感や恐怖感を体験することによって性格の強化につながる、(3)試合の結果によって自分の実力が良くも悪くも明確になる、(4)試合に勝つことによって達成感や感動を体験することができる、(5)試合に共に参加する選手との共感を通じて多くの仲間を作ることができる、などのメリットがあります。

④昨日の試合でも勝って喜ぶ姿や、負けて悔し涙にくれる姿を目にしました。  その喜びも、その悔しさも、明日からの稽古のモチベーションにすれば、より一層稽古が充実したものになるはずです。

⑤ただ、私が危惧するのは、ご父兄や指導者などの関係者が試合の勝ち負けにこだわるあまり、勝った選手を持ち上げすぎたり、負けた選手に対して必要以上に叱咤激励することです。

⑥私が極真会館総本部道場に入門したのは、1971年高校3年生のときでした。  その頃は少年部は極めて少なく、多くは地方の高校を卒業後上京して入門する一般部でした。  そして、その延長線上に全日本大会があります。  トップ選手でも空手歴は数年でした。

⑦現在は少年部が充実し、城西でもそうですが選手のほとんどは少年部から稽古を始めています。  ですから、鎌田翔平みたいに空手歴26年というようになるわけです。

⑧幼年部・少年部については、今の試合結果に一喜一憂することなく、将来成人したときに全日本選手となることを目ざして、長期計画で空手に取り組むというのが、私の理想です。

⑨7月7日のブログ(タイトルは「一万時間の訓練」)、7月21日のブログ(タイトルは「継続 ひたすら継続」)でも書きましたが、最低でも10年間は空手を稽古してもらいたいと思っています。  もし仮に、将来全日本選手を目指さなかったとしても、少年時代に極真空手を10年続けたとしたら、その子が成人した後の人生において計り知れない自信になるはずです。

⑩「10年間の稽古」を前提とすれば、目先の試合の勝ち負けにこだわり過ぎるのはナンセンスです。  逆にそのことによって、好きだった空手を嫌いにさせてしまうことは、我々指導者も含め、最もやってはいけないことです。  ご父兄の皆様にも、何卒ご理解をいただきたいと思います。

⑪試合に参加したからといって必ず「勝てる」わけではありませんが、参加したことによって必ず「成長」はします。

⑫指導者やご父兄には、負けたとしてもどこか成長したところを見つけて、1つでもいいから誉めてあげてもらいたいと思います。   堂々と試合していた、最後まで諦めずに頑張った、大きな気合いを出していた、などどんな小さなことでもかまいません。  そのことが、悔し涙にくれている選手に、勇気とエネルギーを与えるはずです。』

7月21日のブログでも紹介しましたが、極真空手の創始者である大山総裁も、晩年「石上10年」とよくサインされていました。  この年になって振り返ると、物事は大体10年単位のスケジュールで進んでいくな~、というのがわかります(笑)

今回は、私自身への自戒も込めて書いてみました。

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