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長い時間やる習慣

1.2月3日のブログで、明石家さんまさんの師匠・笑福亭松之助さんが禅僧の内山興正老師に師事していたという話を紹介しました。  今回は内山老師が書かれた『座禅の意味と実際』(大法輪閣)からです。  巻末の「問い」から抜粋し、番号を付けて紹介します。

『問い・・・坐禅を何時間もしなければならぬのは何故でしょう。  また、少なくともどれだけはしなければならぬということがあるのでしょうか。

答え・・・①坐禅には決して時間の長短ということはありません。   (中略)  時間の長短、あるいは長短による合格不合格という分別を超えるのが坐禅だからです。

②しかし坐禅は「坐禅時間の長短を超えている」からといって、「だからなるべく少ない時間で事をすまそう」という打算主義は、大体、坐禅するものの態度ではありません。

③反対に「坐禅は時間の長短にかかわらないがゆえに、できるだけうんと坐禅しよう」 「坐禅は自己の実物を生きることであるがゆえに、一生つづけよう」という態度こそが、坐禅する人の態度であるべきです。

④われわれ安泰寺で、坐禅時間を多くしているのも、決してこれを他に向かって誇示したいがため、あるいは功をつみあげるためにやっているのではありません。  ただ坐禅が時間の長短にかかわらないと知るがゆえに、ただやっているだけです。

⑤また、なお坐禅は時間の長短にかかわらないからといって、坐禅をはじめてやる人たちが、三十分や一時間の坐禅時間から出発し、これが坐禅というものだと心得てしまうと、長時間の坐禅は、とても怖しさを感じて、することができないでしょう。

⑥これに反し、はじめから、坐禅とは腹一杯やるものだというところから始めると、坐禅することに対して怖しさを感じないでやれます。  その点からいっても、はじめからできるだけ長い時間やる習慣をつけた方がよいと思います。

⑦あるアメリカ人は、安泰寺に来る以前に、一年間ほどある寺で毎週一時間ずつ坐禅していて、そのころには、坐禅についての論文を書こうと思っていたそうです。   

⑧ところが安泰寺へやって来て、毎日の坐禅や毎月の接心をするようになってから、今や坐禅についての論文など、まだとても自分には書けないと知った、といって笑っていました。   まあ、その辺が本当じゃないでしょうか。』


2.①極真空手でも要領よく稽古することは大切ですが、選手として日本や世界のトップを狙うためには稽古量の確保は欠かせません。

②5か所の常設道場には城西のチームカルチャーとして、「どこよりも創意工夫する、どこよりも練習する、どこよりもそれらを楽しんでやる」という言葉を掲げ、私としては世界一稽古する道場を目指してやってきたつもりです。

③10年ほど前に極真会館の大先輩である藤平昭雄先生と食事させていただく機会がありました。  身長155cm・体重50㎏でキックボクシングのチャンピオンにもなった伝説の空手家です。

④そのとき、先生に「現役時代は何時間くらい稽古されたのですか?」とうかがうと、「12時間ぐらい。  そのくらいやらないと、体が火照って眠れないだろう?」とおっしゃっていました。

⑤チーム城西が世界一の稽古量を目指しているといっても、藤平先生の足元にも及びません 笑

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子どもが抱きしめられること

1.今回は元・寺田倉庫代表取締役社長の中野善壽さんが書かかれた『ぜんぶ、すてれば』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)からです。  

新聞で見た紹介文に次の文章があり、興味を持ちました。

その生き方の根幹にあるのは「何も持たない」こと。  家や車、時計は持たない。  お酒もタバコも嗜まない。  お金も若い頃から、生活に必要な分を除いてすべて寄付している。

2.「世の中捨てたもんじゃない。  楽観主義でやり直せばいい。」の項を抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①これまでの人生を客観的に見つめてみると、わりと僕の人生は「ピンチ」の連続だったかもしれない。

②戦争の真っただ中に生まれ、家庭の事情で祖父母に引き取られて育てられました。  仕事を始めてからも、会社を突然辞めることになったり、日本でのキャリアを捨てて外国で再出発したり。  持っていたものをゼロにして、もう一回やり直すということを繰り返してきた人生です。

③でも、僕自身はピンチという感覚はなかった。  ゼロからまた始めるのは怖くないし、誰かが離れていったとしても人間不信に陥ることはまったくなかった。

④世の中捨てたもんじゃない。  きっと誰かが助けてくれる。  心の底からそう信じられるのは、ひとえに愛情を注いでくれた祖母のおかげでしょう。  叱っても必ずそのあとにぎゅっと抱きしめてくれた。  

⑤子どもは抱きしめられると、本当にうれしいんです。  小学一年生のときに担任だったタカハシタキコ先生も、寂しそうな僕を気遣って、よく放課後に一分間抱っこしてくれた。

⑥そういう愛情の伝わりは、一生残るんです。  おかげで、人懐っこく、誰に対しても心を開ける性格になりました。』

私の母親も幼くして父を亡くし、祖父母に引き取られて育てられたそうです。  2月6日が誕生日で、93歳になりました。  現在は老人ホームでお世話になっており、今週の火曜日にも面会に行ってきました。  まだまだ元気で、ありがたいです。

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目下の人にどう接するか

前回に引き続き、弁護士・鳥飼重和先生のメルマガからです。  2月14日配信分のタイトルは『人格は地位の低い人にどう接するかで分かる』でした。  抜粋し、番号を付けて紹介します。

『①その人物が人格者かどうかを試す方法があるようです。  「その人間が目下の者にどうふるまうかを見ることだ」  名著『自助論』のサミュエル・スマイルズの言葉です。
  
②人格者であるかどうかを計る物差しはいろいろありますが、自分より地位の低い者にどのように接しているかというこの方法は、実用的かつ分かりやすい方法のように思います。
  
③真の人格者は、目下の者や立場の弱い者に対する場合でも、相手の自尊心を尊重する心が常に感じられるものです。  『実るほど、こうべを垂れる稲穂かな』  この言葉が、当てはまる振る舞いだと思います。

④そのような振る舞いをした経団連の会長がいたそうです。  新日鉄の社長なども歴任した故稲山嘉寛氏です。  肩書きをみじんも感じさせない気さくな性格で、腰が低く、相手が誰であれ分け隔てなく接したそうです。
  
⑤それが分かるこんな話があります。  稲山氏が理事長をしていたゴルフクラブのキャディたちは、日曜の朝になると、今日は稲山さんを担当できますようにと、神棚に手を合わせていたといいます。
  
⑥キャディたちがそう願ったのは、稲山氏が威張ることなく、いかに日常的に優しく接していたかという証しでしょう。  謙虚さと誠実さは、信頼を得るためにも、自己成長のためにも欠かせない資質だと言えるでしょう。』

かっての総理大臣・田中角栄先生も「料理屋に行ったときは女中さんや下足番のおじさんを大事にしろよ」と常に言っていたそうです。

私も目下の人に威張る人は苦手です。

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